TOP > スペシャル特集 インデックス > 「Best Hits タイムマシン」インデックス > 「Best Hits タイムマシン」1980年代

Best Hitsタイムマシン
                    NEW  
>>1960年代  1961年  1962年  1963年  1964年  1965年  1966年  1967年  1968年  1969年  1970年  
>>1970年代  1971年  1972年  1973年  1974年  1975年  1976年  1977年  1978年  1979年  1980年  
1980年代  1981年  1982年  1983年  1984年  1985年  1986年  1987年  1988年  1989年  1990年  
1980年代
1990年 Best Hitsセレクション
イラク軍のクエート侵攻、東西ドイツの統一、女子高生校門圧死事件、毛利衛さんが日本人としてはじめてスペース・シャトルに……と、これまたいろんなことが起きた年ではありましたが、世間の大半はまだまだバブルムードに浮かれていたのが1990年。「アッシーくん」とか「メッシーくん」とか「ミツグくん」とか、バカみたいな男がうようよしていたあの時代ですよ。一方では「おやじギャル」が増殖し、そんなバランスの悪さのせいか成田離婚も流行語になりました。

テレビをつければ『ちびまる子ちゃん』のテーマとして大ヒットしたB.B.クイーンズの「おどるポンポコリン」や、イカ天から登場したBEGINのバラード「恋しくて」がひんぱんに流れてきた記憶。イカ天関連では、沢田研二「TOKIO」をリメイクしたカブキロックスの「O・ED 〜お江戸〜」あたりも奇跡的にヒットしましたよね。

海外では、なんといってもMCハマーやヴァニア・アイスんどのポップ・ラップ、それからロクセットあたりですか? どれもギリギリのラインにいた気がするが、曲そのものは楽しめてしまったのでした。プリンスのソングライティング・センスも光るシニード・オコナーの「ナッシング・コンペアズ・2U」、かのテイ・トーワが在籍していたディー・ライト「グルーヴ・イズ・イン・ザ・ハート」も印象的でしたなあ。その他、華々しく登場したマライア・キャリーや、「Because I Love You」でブレイクした一発屋のスティーヴィー・B. もウケまくってました(あの人はいまどこに?)。(テキスト&選曲/印南敦史)
 width=100
オリコンチャート2位まで上昇した代表曲。MIZUNOスキーウェアのCMソングとして、お茶の間にも浸透した。プロデュースを務めているのは、自身が敬愛する人物でもあるトッド・ラングレン。
 width=100
全国の有線放送から火がつき、1年以上の時間をかけて130万枚もの売り上げ実績を生み出した名曲。流行に左右されない普遍的なアプローチが魅力で、“21世紀に伝えたい泣ける歌”のNo.1にも選ばれた。
 width=100
バンド・オーディション番組「イカ天」でイカ天キングとなった彼らのメジャー・デビュー曲で、沢田研二「TOKIO」のリメイク。ちなみにカップリング曲は一風堂のカバー「すみれSEPTEMBER LOVE」。
 width=100
彗星のように登場してあっという間に消えていったポップ・ラッパーの代表曲。今年になって、日産のCMに使われた。MCコミヤ(コント赤信号の小宮孝泰)によるアンサー・ソング「KENTAIKI」も。
 width=100
“ストリート育ちの白人ラッパー”との触れ込みで登場するも、この曲だけを残して消え去った一発屋。クイーン&デヴィッド・ボウイの「アンダー・プレッシャー」を丸使いした楽曲はそれなりに楽しめる?
 width=100
かのテイ・トウワがニューヨークで結成したグループのファースト・ヒットで、全米4位まで上昇。2000年に映画『チャーリーズ・エンジェル』のサントラにも収録されてリバイバル・ヒットした。
 width=100
5枚目のアルバム『アイム・ブレスレス』からのセカンド・シングル。当時流行していたダンス、“ヴォーギング”を取り入れたこともあって世界的に大ヒットし、590万枚のセールス実績を生み出した。
 width=100
ボン・ジョヴィに解散の噂が流れていた時期に発表された同名ソロ・アルバムからのカットで、全米1位を獲得。映画『ヤング・ガン2』のテーマ曲として、翌年にゴールデングローブ賞 主題歌賞も受賞している。
 width=100
数々の問題発言でも有名になったアイルランド出身の彼女が、世界的に大ヒットさせたセカンド・アルバム『蒼い囁き』から放った代表曲。プリンスのカバーで、米英で1位まで上昇したバラード・ナンバーだ。
 width=100
前年のヒット「ザ・ルック」などで一躍注目を浴びることになった、スウェーデンの男女デュオによるヒット。北欧の空気を思わせる、キャッチーで哀愁に満ちたメロディーラインが印象的なミディアムだ。
 
>>ページトップへ
1989年 Best Hitsセレクション
1989年というと、個人的にはまだまだバブルまっただなかの印象が強い。年末から崩壊がはじまったわけだが、世のなかは充分に浮かれて見えたからだ。あの時代の空気、ホントに気持ち悪かったなー。しかし改めて振り返ってみれば、これがいろいろあった年なのだ。まずは1月7日の昭和天皇崩御。わずか7日で終わった昭和64年から時代は「平成」に変わり、2月にはソ連がアフガニスタンから撤退して、リクルート事件で創業者/元会長の江副浩正が逮捕。翌3月には女子高生コンクリート詰め殺人事件、8月には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、11月にはオウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件と血なまぐさい、というより従来の常識では考えられないような事件が頻発したりもした。11月にはベルリンの壁も崩壊しましたしね。また、天才漫画家の手塚治虫、松下電器創業者で“経営の神様”と呼ばれた松下幸之助、国民的歌手の美空ひばり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の前音楽監督ヘルベルト・フォン・カラヤンが死去したのもこの年のこと。

音楽面では、1月1日の Mr.Children結成。2月のオフコース解散が最大のトピックかな。筆者としてはソウルIIソウルの出現がなにより衝撃的だったが、プリンセス・プリンセスの「Daiamonds」とかオヨネーズの「麦畑」とか、いろんな意味でアッパーな曲の印象もまた強かったりして。いずれにせよ昭和が終わり、90年代を間近に控え、なんだかすごく忙しかったような印象が強烈に残っている。(テキスト&選曲/印南敦史)
 width=100
吉川晃司と布袋寅泰によるユニットのデビュー曲。圧倒的なデジタル・ビートは、国産トラックとは思えないほどの完成度。吉川と布袋の従来のイメージを一蹴し、とてつもない創造性を見せつけた。
 width=100
Zerryこと忌野清志郎が先導した覆面バンドが、ファースト・アルバム『TIMERS』から放ったシングル。モンキーズの人気曲に日本語の歌詞を載せた名カヴァーで、CMソングにもなったことから大ヒット。
 width=100
『バット・シリアスリー』からのスマッシュ・ヒット。バック・ヴォーカルにデヴィッド・クロスビーも参加したミディアム・ナンバーで、落ち着きある曲調が支持されたことから4週連続1位を獲得した。
 width=100
チアリーダーから振り付け師に、そしてアーティストへ転身して大成功を収めた彼女のファースト・シングル。ストイックなダンス・ビートも印象的な楽曲で、全米チャート3週連続1位となった。
 width=100
アルバム『リピート・オフェンダー』から誕生し、名声を確立することになった最大のヒット。3週連続1位となった壮大なバラード・ナンバーで、当時の恋人だった妻へのラブレターに曲をつけたもの。
 width=100
アルバム・チャートでもトップにのし上がった『エレクトリック・ユース』からのカットで、こちらも1位を記録。伸びやかで聴きやすいヴォーカルの魅力が発揮された、時代を超えてける名バラードだ。
 width=100
4枚目のアルバムからのタイトル曲。米英はもとより日本でも1位を獲得した。「神聖と世俗」がテーマになっており、プロモーション・ヴィデオが宗教団体などから弾圧を受けたことも有名な話だ。
 width=100
レア・グルーヴ・ムーヴメントを通過してきた、ジャジー・B率いるロンドンのユニットのデビュー曲。“グラウンド・ビート”と呼ばれる革新的ビートを用いた楽曲で、全米チャートでも11位まで上昇。
 width=100
1977年からの活動実績を持つB-52’sが、ドン・ウォズ、そしてナイル・ロジャースにプロデュースを委ねて送り出した大ヒット。全米チャート3位と、彼らにとって初のスマッシュ・ヒットとなった。
 width=100
セカンド・アルバム『GN'R ライズ』から生まれた代表曲。ハードなアプローチとは対極にある、アコースティック・ギターの音色が心に残る美しいバラードで、全米チャート4位まで上昇した。
 
>>ページトップへ
1988年 Best Hitsセレクション
リクルート疑惑やイラン・イラク戦争の停戦など、大きな社会問題が紙面を賑わせていたとはいえ、やっぱり多くの人々の心はバブル景気に心を奪われたままだったのである。とにかく前年に引き続き、よくも悪くもいろんな価値観が変動した時期だった印象。

音楽面についていえば、10月のJ-WAVE開局が大きいでしょうね「しゃべりがメインで音楽は二の次」という従来の常識を覆したアプローチは、ホント衝撃的でしたぜ(頼むから、あの方向にまた戻ってくれ!)。いまや卒業ソングとして定着した長渕剛の「乾杯」が生まれたこの年のJ-POPシーンでは、「パラダイス銀河」の光GENJIとか先輩格の少年隊とか、ジャニーズ系も相変わらず様々なトピックを打ち出してはきた。が、「サマータイム・ブルース」のRCサクセションとか「TRAIN-TRAIN」のThe Blue Heartsとか、ロック勢が元気だったのも特徴じゃないかな。

でもロック・シーンはアメリカでも好調。大ブレイクしたガンズ・アンド・ローゼズを筆頭にポイズン、デヴィッド・リー・ロス、インエクセスなど、それぞれがいろんな角度からアプローチを試みて成功したのだった。だけど反面で、忘れちゃいけないのがブラック/ディスコ・シーンですよ。マイケル・ジャクソンの「マン・イン・ザ・ミラー」からリック・アストリーの「ネヴァー・ゴナ・ギヴ・ユー・アップ」までこちらも百花繚乱で、バブル景気に浮かれながら週末は大いに盛り上がったもんです。(テキスト&選曲/印南敦史)
 width=100
ナショナルの同名エアコンのCMソングとしてもおなじみのヒット・シングルで、透明感に満ちたボーカルが魅力的。ブレイクのきっかけとなった前年の「輝きながら…」と並び、彼の看板というべき名曲だ。
 width=100
元祖ヴィジュアル系ともいえる彼らのサード・アルバム『TABOO』からの先行カットで、初のメジャー・シングル。ビクター・ラジカセ「CDian」のCMソングにもなった、ポップ・センスが光る楽曲。
 width=100
50万枚以上を売り上げた同名アルバムからのカットで、「リンダ・リンダ」と並ぶ名曲。斉藤由貴主演のTBSドラマ『はいすくーる落書』のテーマソングとして、幅広い層からの支持を獲得することになった。
 width=100
エディ・コクランのリメイクだが、歌詞は書き換えられ、原発に反対する強いメッセージ・ソングになっている。そのため、この曲を収録したアルバム『カバーズ』は大手レコード会社から出すことができなくなった。
 width=100
地元オーストラリアから活動を開始して世界的成功を収めた彼らの、「ニード・ユー・トゥナイト」に次ぐスマッシュ・ヒット・シングル。ダンサブルな曲調がフックになり、全米で2週連続2位まで登った。
 width=100
ヴァン・ヘイレンのボーカリストからソロに転じたロスが、1月に放ったヒット・シングル。カラッとしたキャラクターが全面に表れた爽快なトラックで、全米チャート6位まで上昇した。
 width=100
前年にリリースされロング・ヒットを記録したメジャー・デビュー・アルバム、『アペタイト・フォー・ディストラクション』から誕生した彼らの代表曲。11月にカットされて全米7位まで上昇した。
 width=100
スペンサー・デイヴィス・グループ〜トラフィックを経てソロに転じたウィンウッドを代表する楽曲のひとつで、持ち前のブラック・ミュージック趣味が生きたファンキーなナンバー。全米チャート4週連続1位。
 width=100
アルバム『シカゴ19』からシングル・カットされた壮大で感動的なバラード・ナンバーで、ポップ・チャート2週連続1位に。10月にリリースされたがロング・ヒットし、翌年の年間チャートでも1位となった。
 width=100
「シェイク・ユア・ラヴ」などのヒットを連発したデビュー・アルバム『アウト・オブ・ザ・ブルー』からの4枚目のカット。しっとりとしたバラード・ナンバーで、全米チャート1位を獲得した。
 
>>ページトップへ
1987年 Best Hitsセレクション
4月に国鉄が民営化されてJRへ……って、もう20年も前のことなんですね。ちょっと早すぎ、そして懐かしすぎ。で、懐かしいといえばショルダーホンの流れを受けてこの年に登場した携帯電話がやはり大きい。ありえない色調のダブルのスーツを着て、カマボコ板よりもデカい携帯電話をこれみよがしに使っている人、いろんなところで見ましたよね。そんな狂気のようなエピソードからもわかるとおり世はバブルの真っ盛りで、自動パン焼き機とか、別になくても困らないものまでが大々的に売れたのだった。「朝シャン」「ワンレン」「ボディコン」「カウチポテト」、みんなこの時代の産物ですよ。嫌んなりますねー。とか書いてる筆者も直行直帰しまくりで「チョッキーくん」とか呼ばれてましたが。それが許される、恐ろしい時代だったんです。

さてマドンナとマイケル・ジャクソンが相次いで来日したこの年の音楽といえば、やっぱりユーロビートですよね。ちょっとムカつきますけど、否定しきれない魅力があったのも事実。チャート系でもボン・ジョヴィ「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」とか、ホイットニー・ヒューストン「素敵なサムバディ」や同名映画のヒットを受けたロス・ロボスの「ラ・バンバ」とか、あるいはワン・チャン「エヴリバディ・ハヴ・ファン・トゥナイト」とか、壮大だったりやたら明るかったりする曲が多かった気も。

そうかと思えば国内では、加藤登紀子「百万本のバラ」のように古風な楽曲がヒットしたりもしました。というか、こうやって列記するととりとめがない感じだな。まあ、それがバブル時代特有のうねりってことでしょうか。(テキスト&選曲/印南敦史)
 width=100
ロシアの有名歌手、アラ・ブガチョバの人気曲を日本語カヴァーした大ヒット。歌詞のストーリーがわかりやすいこともあり、もはや日本の歌謡界を代表する名曲としても深く浸透している。
 width=100
エレガントな振り付けも話題になった17枚目のシングルで、オリコンシングルチャート1位となった代表曲のひとつ。全日本有線放送大賞優秀スター賞等の他、多くの賞を勝ち取った。
 width=100
25枚目のシングルで、THE ALFEE名義では初めてオリコンシングルチャート1位となった記念碑的楽曲。リリース当時はライオンのCMソングとしても起用され、お茶の間に浸透した。
 width=100
ラスト・アルバム『PSYCOPATH』からカットされた6枚目のシングルで、BO OWYにとって唯一、オリコンチャート1位となった楽曲。解散直前に生まれた楽曲で、120万枚以上を売り上げた。
 width=100
前年リリースのサード・アルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』からセカンド・カットされた代表的ヒット。重量感のあるサウンドが支持され、全米チャートで4週連続1位を記録した。
 width=100
70年代からの活動実績を持つメキシコ系アメリカ人のバンドが、この年にブレイクしたナンバー。リッチー・バレンスのカヴァーで、同名映画のテーマソングになったことから大成功を収めた。
 width=100
ブライアン・イーノのプロデュースによる『ヨシュア・トゥリー』から誕生したスマッシュ・ヒット。日本では翌年、フジテレビ系ドラマ『眠れる森』のテーマソングにも起用されることに。
 width=100
外部人脈を起用して「ネヴァー」などのヒットを生み出して起死回生をはかったハートの、アルバム『バッド・アニマルズ』からのシングル・カット。全米チャートで3週連続1位となった。
 width=100
傑作と名高い『黄昏のレンガ路』から誕生した、キャリアを代表する名曲。80年代にも再演され、さらに97年には故ダイアナ妃への鎮魂歌として、歌詞の一部を差し替えた上で再リリースされた。
 width=100
元スプリット・エンズのメンバーを中心に結成されたグループが、この年に放ったヒット・ナンバー。広大な広がりを感じさせるゆったりとした楽曲で、全米チャート2位まで上昇した。
 
>>ページトップへ
1986年 Best Hitsセレクション
1月にはNASAのスペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げ直後に爆発。4月にはソ連でチェルノブイリ原発事故が起こり、さらに11月には伊豆半島の三原山が大噴火と、大きな事件が続いた印象があるのが1986年だ。

そんななか日本の音楽界では、中森明菜が大活躍。「DESIRE-情熱-」、そして「ジプシー・クイーン」とヒットを連発したのだった。フィンツィ・コンティーニのユーロビート・ヒットをカヴァーした石井明美の「CHA-CHA-CHA」や(タイプは違うけど)渡辺美里の「My Revolution」など、アッパーな気分にしてくれるナンバーも生まれましたね。でも日野美歌/葵司郎「男と女のラブゲーム」を筆頭 にテレサ・テン「時の流れに身をまかせ」、吉幾三の「雪国」などの演歌勢にもまだ勢いが。

洋楽だと、ディオンヌ・ワーウィックの呼びかけに応じスティーヴィー・ワンダー、グラディス・ナイト、エルトン・ジョンが参加したエイズ・チャリティー「愛のハーモニー」が印象的。アニタ・ベイカーの「スウィート・ラヴ」を含め、大人が聴ける佳曲が出された時期という印象も強い。とはいえランDMCによる「ウォーク・ディス・ウェイ」が大ヒットしたおかげでヒップホップの力が拡大し、加えてファルコ「ロック・ミー・アマデウス」やマドンナ「パパ・ドント・プリーチ」、バナナラマ「ヴィーナス」、ペットショップ・ボーイズ「ウェストエンド・ガールズ」などのディスコ・ヒットも大健闘。かのジェームス・ブラウンも、映画『ロッキ−4』劇中歌「リヴィング・イン・アメリカ」で気焔を吐きました。(テキスト&選曲/印南敦史)
 width=100
前年の「ミ・アモーレ」に続き、2年連続でレコード大賞を受賞することになった14枚目の記念碑的シングル。のちにノーランズがカヴァーしたことはあまり知られていない?
 width=100
82年にデビューした日野美歌が、葵司郎とのデュエットによって生み出したスマッシュ・ヒット。「タケダ胃腸薬21」のDCMソングにも起用され、お茶の間でもおなじみになった。
 width=100
プログレからポップ・サウンドへと転向して、ファン層を広げてきたジェネシスの記念すべき全米No.1ヒット。アルバム自体も500万枚を超えるメガ・ヒットとなった。
 width=100
オーストリア出身、ドイツ語ラップで大きなインパクトを与えた男による世界的ヒット米英でチャートのトップに。80年代のヒーロー的存在だが、98年に交通事故で他界した。
 width=100
アルバム『トゥルー・ブルー』から、「リヴ・トゥ・テル」に次いでカットされたセカンド・シングル。全米・全英で1位を記録した、中期マドンナの代表曲のひとつ。
 width=100
ショッキング・ブルーの名曲をリメイクした最大のヒット。長山洋子もカヴァーしたこの曲が契機となり、ダンス・ミュージック・アクトとしての以後の立ち位置を明確化した。
 width=100
デビュー・シングルとして84年に発表された楽曲を、リアレンジして再リリース。イギリス、アメリカ、日本などで大ヒット記録を打ち立て、全世界で150万枚を売り上げた。
 width=100
70年代には10数人のファンク・バンドだったキャメオが、デジタル機材を導入することで3人にまでシェイプ・アップして放った大ヒット。汗を感じさせるデジタル・サウンドが秀逸。
 width=100
プリンス&ザ・レヴォリューション名義のアルバム『パレード』からのファースト・カット。無駄をそぎ落としたクールなファンク・トラックで、全米チャート2週連続1位を記録した。
 width=100
台頭するヒップホップ・カルチャーに反目するかのように、オーソドックスで落ち着いた世界観を打ち出したバラード・ナンバー。大人に支持され、現在も聴き次がれる名曲になっている。
 
>>ページトップへ
1985年 Best Hitsセレクション
6月、豊田商事の永野会長宅に暴漢が押し入り、マスコミが現場を包囲するなかで殺害。8月には日航ジャンボ機が墜落し、歌手の坂本九さんを含む乗客乗員520人が死亡するなど、1985年にはそれまでの常識では考えられないような出来事が起こった。阪神が21年ぶりに優勝するなど、決して悪いことばかりではなかったともいえるのだけれど。ちょっと興味深いのは、携帯電話の先がけである「ショルダーフォン」がこの年に生まれたこと。といってもあまりに重たく大型で、普及したとは思えませんでしたけどね。ただ同じように技術が大きく進歩したのも事実で、たとえばソニーの「ハンディカム」、ワープロの東芝「ルポ」なんかも発売されている。そういえば、筑波万博なんてのもありましたなぁ。まさに「新人類」の時代ですか? 

さて、神田正輝と松田聖子が結婚したこの年の音楽はというと、洋の東西を問わず80年代ムード一色。おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」もマドンナの「マテリアル・ガール」も、80年代だからこそ生まれたものだといえる(比較論ではないすよ)。

だが、45人ものアーティストが集結したUSA for Africaの「ウィ・アー・ザ・ワールド」の純粋性やワム!「ケアレス・ウィスパー」の演歌魂には、多くの人が心打たれたのだった。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のテーマ・ソングを担当したヒューイ・ルイスが、チョイ役でいい演技を見せてくれたことも印象的でしたね。(テキスト&選曲/印南敦史)
 width=100
3月にリリースされた11枚目のシングルで、ジャズ・ピアニストの松岡直也が作曲を担当。85年の年間シングル・チャート2位の大ヒットとなり、第27回レコード大賞を受賞した。
 width=100
83年のヒット「ワインレッドの心」と並ぶ、安全地帯の代表曲。当時、オートラマ「高感度レーザー」CMソングにも起用されたこともあり、お茶の間での認知度も高い楽曲だ。
 width=100
フジテレビ系バラエティ番組「夕やけニャンニャン」から誕生したアイドル・グループによる、80年代の象徴ともいうべきヒット・ナンバー。ベテラン歌手とは対照的な素人っぽさが勝因?
 width=100
4週連続1位の実績を形成した、美しく感動的なバラード・ナンバー。コモドアーズでの活躍を経て独立し、ポップ・フィールドへと大きく羽ばたいていった彼の頂点というべき楽曲だ。
 width=100
ギタリストのマーク・ノップラーを主軸としたUKのバンドが残した最大のヒット・チューンで、全米でも3週連続1位となった。スティングのバック・コーラス参加も話題になった。
 width=100
UKの2人組シンセ・ポップ・グループが、続く「ルール・ザ・ワールド」とともにこの年に放った全米トップ・ヒット。日本ではスズキ「カルタス」のCMソングとしても人気を博した。
 width=100
ノルウェーの3人組による世界的ヒット・ナンバー。84年に母国でヒットさせた楽曲をアレンジしなおした結果、全米チャート1位の実績を打ち立てることになった。心地よい浮遊感が魅力。
 width=100
5枚目のアルバム『プロヴォカトゥール(煽動)』収録曲で、彼らにとって初めて、唯一の全米ナンバー・ワン・ヒット。トップの座に2週居座り、年間チャートでも4位を記録した。
 width=100
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー」のテーマ・ソングとしても使用され、全米トップ・ヒットとなったロックンロール・クラシック。黒人音楽に根ざしたグルーヴ感が爽快だ。
 width=100
アルバム『ライク・ア・ヴァージン』から生まれた、タイトル曲に次ぐスマッシュ・ヒット。全米・全英で2位のヒット実績を打ち立てた。現在でもライヴで披露される名曲のひとつ。
 
>>ページトップへ
1984年 Best Hitsセレクション
年の初めに週刊文春が連載を開始した『疑惑の銃弾』が発端となってロス疑惑が大き話題を呼んだかと思えば、3月には「かい人21面相」によるグリコ・森永事件が勃発。や〜な感じの空気が日本中を覆ったわけだが、夏にロサンジェルス・オリンピックが開催され、10月に有楽町マリオンがオープンし、さらに11月には15年ぶりの新札が発行され……と、後半になって活気を取り戻したのが1984年だ。

なんて書くといかにも活気がなさそうにも聞こえるがそんなことは全然なく、禁煙パイポのおじさんが“コレ”で会社を辞める一方で「まる金・まるビ」とか「ペンギンズバー」とか『ビバリーヒルズ・コップ』とかヤッピーとか、なんだかもう強烈に80年代っぽい空気が充満していたのだった。

国内の音楽シーンも、チェッカーズや中森明菜や松田聖子が大活躍する一方、五木ひろしが「長良川艶歌」でレコード大賞を受賞。そうそう、吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」も話題になりました。洋楽に目を向けてみれば、マドンナ、プリンスなど新勢力が大活躍。カルチャー・クラブやワム!を筆頭に、UKのグループがアメリカで大成功を収めた年でもありました。それから忘れちゃいけないのが、マイケル・ジャクソンの『スリラー』ですね。どこへ行ってもプロモーション・ビデオがかかっているような、ものすごいブームでしたよね。当時を知っている人なら、先ごろ来日した際に複雑な心境になったのでは? という皮肉はアーティストとしての復活を望む心の裏返しなんですが。(テキスト&選曲/印南敦史)
インパクト抜群のキャラクターとともにデビューを果たし、瞬く間にトップ・グループとなったチェッカーズのセカンド・ヒット。古さを感じさせない曲調が魅力だ。
ペドル&カプリシャスを経てソロ・シンガーとなった彼女の代表作。カメリアダイアモンドのCMソングになったため、当時はテレビでも頻繁に流れていた。
井上陽水の作詞作曲による10枚目のシングル。オリコン週間シングルチャート1位を記録した代表曲であり、翌年のFNS歌謡祭で最優秀ヒット賞も受賞した。
全米チャート6週連続1位という快挙を成し遂げ、マドンナの名を世界的に知らしめることになったビッグ・ヒット。挑発的なルックスとアプローチも大きな話題となった。
大ヒット・アルバム『パープル・レイン』からのシングル・カット・ナンバーで、5週連続1位となったスマッシュ・ヒット。プリンスのエキセントリックな魅力が炸裂。
5週連続で1位をキープした、彼らにとって唯一の全米No.1ヒット・シングル。であると同時に、ある意味では80年代の洋楽を代表する楽曲でもある。
この年にリリースされるや大成功を収めたアルバム『プライヴェート・ダンサー』からのスマッシュ・ヒットで、3週連続1位を記録。熱いヴォーカルに説得力がある。
3週連続1位となった、セカンド・アルバム『カラー・バイ・ナンバーズ』からのスマッシュ・ヒット。モータウン・サウンドを彷彿させる曲調がすばらしい。
80年代のアメリカン・ロック・シーンで最も売れたグループのひとつである彼らの、数ある代表曲のひとつ。いかにもアメリカという感じの疾走感が爽快だ。
アルバム『ハートビート・シティ』からカットされたシングル・ナンバーであると同時に、彼らを語るうえで欠かせない名曲のひとつ。感傷的な雰囲気が心に残る。
 
>>ページトップへ
1983年 Best Hitsセレクション
東京の三鷹に初の貸しレコード店がオープンして大成功し、任天堂から登場したファミコンが売れに売れ、浦安にオープンした東京ディズニーランドに大勢の人が押しかけ、カフェバーが流行る一方で焼酎ブームが巻き起こり、飲み会の席で瞬間芸が人気を呼ぶような風潮を言い表すかのように「軽薄短小」が流行語になり、そんな動きに抵抗するかのようにYMOが散会し、闇の世界の愛人バンクが問題化し、ソ連領空を侵犯した大韓航空機が撃墜され中曽根内閣が浮沈空母と化し……と、これだけですでに意味不明。物事同士の連動性があまりない気がするし、なにより重みのあることがらが少ない。しかしそれこそが、'83年という時代の実態なのかもしれない。極彩色で浮かれ調子な80年代の、実質的なスタートラインだってことだ。

その証拠に音楽の世界も、チェッカーズや安全地帯が大ブレイクする一方で細川たかしの「矢切の渡し」や大川栄策「さざんかの宿」、渥美二郎「釜山港へ帰れ」のような演歌も好調。ディスコではアイリーン・キャラの「フラッシュダンス」やマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」、ポリスの「見つめてほしい」やライオネル・リッチーの「オール・ナイト・ロング」など、ジャンル完全無視で盛り上がれる曲が次々とヘヴィー・プレイされたのだった。

MTVはすっかり認知されて音楽の消費のされ方自体が大きく変わったし、時代のすべてがイケイケモードだったのである。それを迫りくるバブル経済の予兆だと断言するのは、あまりにも強引でしょうか?(テキスト&選曲/印南敦史)
'70年代のアイドル期を経て、実力派シンガーとしての存在感をアピールすることになった'80年代の代表曲。チャートの8位まで登り、40万枚を売ることになった。
作詞を先輩格の井上陽水が担当し、結果的に安全地帯の名を不動のものにした大ヒット・ナンバー。当時はワインのCMソングとしても親しまれていた。
ハスキーな声のインパクトも手伝って、爆発的なヒットとなった楽曲。お笑い芸人のギャグのネタになったほど、「ボヘミア〜ン!」というフレーズは強烈。
長い活動実績を持つアルフィーにとっての代表曲。このヒットがきっかけとなって、以後の彼らは37作連続トップというとてつもない実績を打ち立てた。
'80年代に活動拠点をアメリカ西海岸に移し、ドゥービー・ブラザーズを起用した矢沢が放った名曲。海外アーティストと並んでもひけをとらない完成度だ。
ボーイ・ジョージの個性、そしてソウル・ミュージックをベースに持つ音楽性を武器としていた彼らのファースト・ヒット。レゲエ・ビートが心地よい。
全米チャートで8週間も1位を独占した、ポリスにとって最大のヒット・ナンバー。このあと分裂することになる彼らの、まさに頂点というにふさわしい楽曲だ。
アダルト・コンテンポラリー・チャートとR&Bチャートでも大ヒット。ライオネルのクロスオーヴァーな方向性が、最良のかたちで結実したポップ・クラシックだ。
ポップ・チャートのみならずアダルト・コンテンポラリー・チャートとカントリー・チャートでも大成功した、ドリー・パートンとのデュエット・ナンバー。
ジェームス・イングラムとのデュエットで、ダンス・クラシック「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」と並ぶ代表曲。クインシー・ジョーンズの制作能力が生んだ奇跡。
 
>>ページトップへ
1982年 Best Hitsセレクション
千代田区永田町のホテル・ニュージャパンで深夜に火災が発生し、結果として多くの死傷者が出たのが2月8日。さらにその翌日には、精神を病んでいた機長の逆噴射が原因で日航機DC8が羽田の海中に墜落して、死者24人、重軽症者142人の大惨事に。1982年は、前半から大きな話題が続出した。女の子の間ではレッグウォーマーが流行し、現在も続く長寿番組の『笑っていいとも!』がスタートしたこの年は、「ネクラ」、「ほとんどビョーキ」、「ルンルン」など、“軽薄短小”の時代を象徴するような軽いタッチの言葉も流行したりしている(個人的には思い出したくもないノリだけど)。

ソニーからは世界で初めてCDプレーヤーが発売され、「赤いスイートピー」、「渚のバルコニー」など相変わらずヒットを連発した松田聖子を筆頭に、人気テレビ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』から誕生した細川たかし「北酒場」、女性の繊細かつ強い心情を表現したあみんの「待つわ」など、様々なタイプのヒット・ナンバーが誕生。

元ランナウェイズのジョーン・ジェットがザ・ブラックハーツを率いてのヒット曲「アイ・ラヴ・ロックンロール」で返り咲き、アメリカン・ロックの象徴的存在だったスティーヴ・ミラー・バンドが「アブラカダブラ」でディスコ・アプローチを試み大成功するなど、洋楽の世界もカラフルに彩られていましたよねー。あ、それから現在も CMに使用されているシカゴの名バラード「素直になれなくて」が大ヒットしたのもこの年のこと。(テキスト&選曲/印南敦史)