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Best Hitsタイムマシン
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1970年代
1980年 Best Hitsセレクション
8月に起きた新宿西口バス放火事件、9月にはじまって88年まで続いたイラン・イラク戦争、巨人の長嶋監督辞任と王貞治選手の現役引退、川崎の予備校生が両親を撲殺した金属バット事件……「1980年」で思い出すのはそんなところでしょうか? うう、あんまりいい感じじゃないですね。そういえばこの年の秋にはじまった「3年B組金八先生」の第2シリーズも、テーマは校内暴力だったっけなあ。おめでたいところでは、山口百恵と三浦友和の結婚ですか。で、別な意味でおめでたかったのが原宿タケノコ族。あれは、いまだに意味わかりませんね。

ともあれそんな混沌とした感のあるご時世も影響してか否か、音楽の世界もなかなかの個性派揃いでした。たとえばお父さん世代の超定番である谷村新司の「昂」や五輪真弓の「恋人よ」が生まれた一方で、松田聖子「青い珊瑚礁」、田原俊彦「哀愁でいと」、近藤真彦「スニーカーぶるーす」などがヤングのハート(死語)をがっちりキャッチ。かと思えば「大都会」でブレイクしたクリスタル・キングは、歌唱力のみならずルックスも強烈すぎたのであった。あ、ルックスといえば靴墨を塗りたくって登場したランナウェイズや、「TOKIO」での沢田研二の衣装も印象的でした。

だけど洋楽に目を向ければ、なによりも衝撃的だったのはカム・バック直後のジョン・レノンの死ですね。これから本格的に再始動というタイミングだっただけに、いまなお残念。「スターティング・オーヴァー」が身にしみます。しかし、もう、あれから27年ですよ。(テキスト&選曲/印南敦史)
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三浦和人と中川敏一のデュオによる代表曲で、この年のポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)で優秀曲賞を受賞。艶っぽく繊細な表現には、フォークソング最期の灯火とでもいうような切なさが。
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19枚目のシングルで、1993年に小田和正がセルフ・カバーしたことでも有名な楽曲。この曲がヒットした半年後、オリジナル・メンバーである鈴木康博が脱退を表明し、ファンに大きなショックを与えた。
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この年の紅白歌合戦でも歌われた9枚目のシングル。当時一世を風靡していたAORシンガー、レイ・ケネディーの「You Oughta Know By Now」に酷似していたため、以後はカバー曲として扱われた。
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アルバム『ザ・ゲーム』からのシングル・ヒット。のちのヒップホップにも間接的な影響を与えており、たとえばシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」ではこの曲のベースラインが引用されている。
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5年ぶりの復活作として話題を呼んだ遺作『ダブル・ファンタジー』から誕生した珠玉の一曲。アルバム・リリース直後に凶弾に倒れることとなったため、死後に大ヒットするという皮肉な結果となった。
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カントリー・シンガーのネルソンが、自ら主演を務めた映画『忍冬(すいかずら)の花のように』のテーマ・ソング。ポップ・リスナーにも訴えかけるキャッチーな曲調が魅力となった、彼のキャリアを代表する楽曲だ。
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現在も人気を維持するダンス・クラシックで、シックのナイル・ロジャースがプロデュースを担当。シャープで重量感のあるサウンドとの相性が抜群で、ポップ、R&B・チャートともに4週連続1位となった。
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超大作『ザ・ウォール』からのシングル・カット・ナンバーで、4週連続1位の実績を獲得。キレのいいギターを基調としたグルーヴ感に満ちたバック・トラックと、子供こコーラスとの対比が聴きどころ。
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アルバム『ホッター・ザン・ジュライ』からのシングル・カットで、全米5位のヒットを記録。ボブ・マーリーにインスパイアされ、レゲエ・ビートを取り入れた楽曲としても広く知られている。
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クイーン「地獄へ道づれ」のベースラインを使用した、初のラップ・レコードとして有名。実は仕掛けられたグループで、メンバーにヒップホップのベースはなかった。が、結果的にはクラシック化。
 
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1979年 Best Hitsセレクション
新年早々の1月26日に、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店で猟銃人質事件が発生。多くの死傷者を出した悪夢のような42時間はテレビでも中継され、日本中を震撼させた。いやー、ホントに恐ろしい事件でした。さらに3月には、米スリーマイル島原子力発電所で放射能漏れ事故も発生しているしなあ…。と、こうしてあとから振り返ってみれば、「すごい年だったんだなぁ」という印象ばかりが強くなってしまうもの。でも、だからって歴史はそこまで単純化できるものでもないのだ。その証拠に1979年は、「ナウい」とか「ニャンニャンする」とか書いてるだけでも恥ずかしくなってくる流行語が生まれた年でもある。この差がすごいが、つまり少なくとも文化的な面から見れば、いかにも軽い“80年代っぽさ”が垣間見えるのだ。

そういえば西城秀樹の「YOUNG MAN」みたいな、楽しさ一発のお気楽歌謡も流行ったしねえ。だいいちディスコの全盛期だし、ドナ・サマー「ホット・スタッフ、ロッド・スチュワート「アイム・セクシー」、グロリア・ゲイナー「恋のサバイバル」など、海の向こうでもイケイケの楽曲が花盛りだったのだった。ただしその一方で、チューリップの「虹とスニーカーの頃」や武田鉄矢の「贈る言葉」、久保田早紀の「異邦人」、あるいは洋楽ならスティクスの「ベイブ」のように、後世に語り継がれる名曲が生まれていのも興味深いところ。かくいう僕はといえば…けっこう苦悩する青春時代だったかなぁ(青春に苦悩はつきもの)。(テキスト&選曲/印南敦史)
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阿木燿子作詞、 筒美京平作曲による永遠の名曲。ワコールのCMソングにもなって、200万枚をセールスした。また、これがきっかけで紅白歌合戦に初出場し、第21回日本レコード大賞も受賞することに。
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16枚目のシングルで、オリコンチャート6位、42万枚のセールス実績を樹立。1973年の「心の旅」に次ぐ大ヒットとなった。美しいメロディが魅力的だが、歌詞は男の居直りのようにも思える?
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インパクト抜群のハイトーン・ヴォイスが話題を呼んだ、彼ら唯一のヒット曲。第10回世界歌謡祭グランプリ受賞 オリコン1位(6週連続)を獲得し、1998年には缶コーヒーのCMソングにも起用された。
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武田鉄矢が所属していた海援隊名義でのヒット。ドラマ『3年B組金八先生』のテーマ曲となり、100万枚をセールス。オリコンチャートでも1位を獲得した。卒業式の定番ソングとしてもすっかりおなじみ。
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ビートルズを意識したマーケティングをもとに、LA出身の4人組バンドが放った唯一の大ヒット。6週連続1位、同年の年間チャート1位を記録した。1994年には映画『リアリティ・バイツ』の挿入歌に。
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プロデューサー、ジョルジオ・モロダーのバックアップを受けて大成功を収めた“ディスコ・クイーン”の大ヒット。ロック感覚も濃厚で、日本では近年、コカコーラのCMソングに起用され再評価された。
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『スーパースターはブロンドがお好き』から誕生した大ヒット。ディスコ・アプローチを取り入れたため賛否両論を呼んだが、4週連続1位のスマッシュ・ヒットとなった。単なるディスコとは異なるパワー。
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全米3週連続1位となった、いまなお人気の高いディスコ・クラシック。情熱的でパワフルなヴォーカルが圧倒的。ぐんぐん盛り上がる曲調や哀愁たっぷりのメロディラインも、まさに日本人好み。
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この年のアルバム『コーナーストーン』からカットされ、全米1位となった大ヒット。プログレッシヴ・ロックのベースを持つグループだが、ソフトで親しみやすいポップ・センスが大成功に結びついた。
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フィラデルフィア出身の4人姉妹グループが放った最大のヒット。R&Bチャートで1位に、ポップ・チャートでも2週連続2位に登りつめた。若さあふれる快活なダンス・トラックで、現在でも高い人気を誇る。
 
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1978年 Best Hitsセレクション
成田空港が開港し、王選手が800号ホームランを達成し…と、振り返ればいろんな意味で新しい時代の到来を予感する年であった(かもしれない)1978年。でも、なんちゃっておじさんとか口裂け女なども登場したので、キッズにとってはおかしいやら恐ろしいやら。

国内の音楽シーンでは、「勝手にシンドバッド」をひっさげて登場したサザンオールスターズ、そしてゴダイゴの「ガンダーラ」がインパクト抜群。かと思えば平尾昌晃と畑中葉子の「カナダからの手紙」とかキャンディーズの「微笑がえし」とか、山口百恵の「プレイバック Part2」とか北島三郎「与作」とか、ジャンル不問で様々なタイプのヒットが次々と表れたのだった。なにせ堀内孝雄が「君のひとみは10000ボルト」だと思えば、さとう宗幸は「青葉城恋歌」だもんなあ、幅広すぎ。だから楽しかったんだけどね。

海外だと、なんといっても映画『サタデーナイト・フィーバー』に端を発するディスコ・ブームでしょう。「恋のナイト・フィーバー」「ステイン・アライヴ」など次々とスマッシュを打ち立てたビー・ジーズが絶好調。他にもテイスト・オブ・ハニーの「今夜はブギ・ウギ・ウギ」、ドナ・サマーの「マッカーサー・パーク」、ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」など、いまなお聴き継がれるディスコ・クラシックスが続々と登場したのだった。それからプレイヤー「ベイビー・カム・バック」、エグザイル「キス・ユー・オール・オーヴァー」など、AORの名曲が生まれた年でもあります。(テキスト&選曲/印南敦史)
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9週間1位をキープし146万枚を売り上げた、「UFO」に次ぐ大ヒット。第9回日本歌謡大賞などを受賞した。なおこの年には「モンスター」「透明人間」「カメレオン・アーミー」もヒットしている。
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名作『ゴールドラッシュ』から生まれた矢沢クラシック。それまで圧倒的だったロックンローラーとしてのイメージから一歩踏み出し、バラードも歌えるシンガーとしての地位を確立することにもなった。
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仙台でFM局のDJをしていた彼が、番組に送られた詩に曲をつけて生まれた楽曲。どこか懐かしさすら感じさせる世界観が評価され、100万枚を超えるヒット実績を生み出した。
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アリスの堀内孝雄が、ソロとしてリリースしたシングル。作詞は谷村新司が担当している。資生堂のCMソングとしてテレビで頻繁に流れたこともあり、90万枚以上をセールスするスマッシュ・ヒットとなった。
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ジョン・トラボルタとオリヴィア・ニュートン・ジョンが主演した同名映画のテーマ局。作曲とプロデュースをビー・ジーズのバリー・ギブが、ギターをピーター・フランプトンが担当し、全米2位の大ヒットに。
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ダンサブルでキャッチーな曲調を武器としてディスコ・ブームの波に乗り、全米チャートで3週連続1位を獲得したファースト・ヒット。グラミー賞最優秀新人賞を獲得した。日本でもいまなお人気が高い。
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プレイヤーはその名のとおりスタジオ・ミュージシャンによって結成されたグループで、これは3週連続1位の大ヒットとなった代表曲。メロウなサウンド・プロダクションが心地よい、AORクラシックだ。
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リチャード・ハリスの楽曲をリメイクしたヒット・ナンバーで、全米チャート3週連続1位を記録。ディスコのフォーマットを保ちながら、ダイナミックなボーカル・ワークを見せつけてくれる。
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クロスオーバー・グループとなった中期以降のコモドアーズを代表するバラード・ナンバー。ポップ・チャートで3週連続1位、アダルト・コンテンポラリー・チャートとR&Bチャートでもトップに。
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7作目『ジャズ』からのカット。日本では「ファット・ボトムド・ガールズ」との両A面として発売された。最高位24位とチャート的にはふるわなかったものの、代表曲のひとつとして現在も人気が高い。
 
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1977年 Best Hitsセレクション
新年早々、品川で青酸コーラ事件が勃発。8月には有珠山が噴火し、9月には日航機ハイジャックと重たい事件も多かったけれど、王貞治の通算本塁打756号達成で盛り上がりもした1977年。文化面では、圧倒的なインパクトを放ったのが伊東四朗の「電線音頭」だ。いま思えば「どうして?」と感じちゃうほどシンプルな芸だけど、能天気グルーヴに期待を寄せて小中学生はテレビにかじりついたのだった。

それと一大ニュースは、「暑中お見舞い申し上げます」が大ヒット中だったキャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」発言。流行語にすらなった引退宣言時の言葉だが、田中角栄の「よっしゃよっしゃ」なんかよりもずっと心に響いたぞ。一方のピンク・レディーは「カルメン’77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」と絶好調。また沢田研二が「勝手にしやがれ」で第19回レコード大賞を受賞したかと思えば、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」や、千昌夫の「北国の春」など演歌の世界からも大ヒットが連発した。狩人の「あずさ2号」あたりは、一般の歌謡曲ファンをも取り込みましたね。それから、旧国鉄のテーマ・ソングになった山口百恵の「いい日旅立ち」も無視できないところかな。

洋楽のシーンでは、デビー・ブーンの「恋するデビー」、バーブラ・ストライサンドの「スター誕生 愛のテーマ」、ビー・ジーズの「愛はきらめきの中に」などオーソドックスなバラードが際立った。
  ところできんどーちゃんがKISSのジーン・シモンズのコスプレしたり、クマ先生がフレディー・マーキュリーになったりする「マカロニほうれん荘」も、ロック世代に欠かせない漫画ではありました。(テキスト&選曲/印南敦史)
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前年の「ペッパー警部」「SOS」に次ぐサード・シングル。続く「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」「サウスポー」と並ぶ全盛期のヒット・チューンで、過激な振り付けも話題になった。
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兄弟グループ、狩人のデビュー・シングルにして唯一の代表曲。基本構造は演歌だが、一般の歌謡曲リスナーをも巻き込んでクロスーヴァー・ヒットした。後半の盛り上がりが最大の聴きどころ。
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フォーク時代の下積みを経たアリスが、ニューニュージック・グループとして認知されるきっかけともなった大ヒット・シングル。これ以降は、ポップ/ロック色をより強めることにもなった。
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別名義でデビューしたものの伸び悩んでいたため、5年後に改名して放った大ヒット。津軽弁で歌われるコミカルなフォークソング(?)で、子どもから大人までの幅広い層に支持された。
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「ステイン・アライヴ」「ナイト・フィーバー」等のダンス曲に先がけ、大ヒット映画『サタデーナイト・フィーバー』のアントラから生まれたバラード。ハーモニーの美しさがポイント。
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前年のモンスター・アルバム『キー・オブ・ライフ』からのカット。ジャズの大物、デューク・エリントンへの敬愛を表現している。日本では最近、トヨタのCMに使用されたことでも有名。
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ヒット・アルバム『夢はひとつだけ』から放ったバディ・ホリーのカヴァー。ワディ・ワクテルらのサポートも完璧。全米チャート5位まで登った、ウェスト・コースト・ロックの代表曲でもある。
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ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズを中心とするディスコ・グループのファースト・ヒット。他者との差別化をはかった都会的で洗練された音づくりが大きく評価されることに。
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「悲しいうわさ」「レッツ・ゲット・イット・オン」に次ぐ全米No.1ヒット。ファルセット・ヴォーカルの魅力が存分に引き出されたメロウ・グルーヴが心地よい、代表曲のひとつ。
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「恋の魔法使い」を生んだ前年のヒット作『エンドレス・フライト』からのセカンド・カット。アルバート・ハモンドとキャロル・ベイヤー・セイガーのペンによる、心に染み入るバラードだ。
 
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1976年 Best Hitsセレクション
1月の最終日に五つ子が誕生して全国に暖かなムードが漂ったと思ったら、その5日後にはロッキード事件発覚。戦後最大の汚職事件は、7月の田中角栄前首相逮捕に行き着いたのだった。「記憶にございません」とか「ピーナッツ」など、この事件に端を発する多くの流行語が生まれたことも記憶に鮮烈だ。

荒井由実と松任谷正隆が結婚したこの年の音楽状況の3大巨頭といえば、「横須賀ストーリー」で相変わらずの存在感を示した山口百恵、年明けに「春一番」で爽やかさをアピールしたキャンディーズ、そして夏に「ペッパー警部」で颯爽と登場してPTAを苦悩させたピンクレディーでしょうか。田中星児の「ビューティフル・サンデー」(トランザムによるカヴァーも出たね)や森田公一とトップギャラン「青春時代」、果ては「山口さんちのツトム君」まで、爽やかでポップな名曲が次々と誕生したのも思い出深いところ。そうかと思えば小林旭が昔の名前で出ている一方で内山田洋とクールファイブが東京砂漠について嘆くなど、正統派歌謡曲にもまだ勢いがありました。

海外に目を向けるとアメリカでは、ワイルド・チェリー「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」やジョニー・テイラー「ディスコ・レディー」などのダンス・ミュージックがヒットする一方でザ・バンドが解散。かたやロンドンではセックス・ピストルズのデビューを契機にパンク・ムーヴメントが勃発し、新たな時代を予感させもしたのだった。そういえば今年シリーズの幕を閉じたシルヴェスター・スタローン主演映画『ロッキー』の第一作が公開されたのもこの年のことでした。時の流れは早いナリ。(テキスト&選曲/印南敦史)
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マイトガイの異名を持つ小林旭の、歌手としての才能を認知させたヒット・ナンバー。作詞を星野哲郎が、作曲を叶弦大が手がけた楽曲で、昭和を代表する名曲としても知られている。
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伸び悩みの時期を越え、「愚図」で歌手としての知名度を確立した研ナオコの12枚目にあたるヒット・シングル。中島みゆきの作詞作曲による、落ち着きを意識させる楽曲だ。
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7枚目のアルバム『ナイト・オン・ザ・タウン』からのシングル・ヒット。バラード・シンガーとしてのロッドの実力をアピールすることにもなった、彼の代表曲のひとつだ。
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洋楽史上に残る名作『オペラ座の夜』から誕生したスマッシュ・ヒット。壮大で感動的な曲調が大きく支持され、ロック・クラシックとして現在まで聴き継がれることになった。
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サイモン&ガーファンクルの再結成曲「マイ・リトル・タウン」を含み、75年度グラミー賞最優秀アルバム賞も受賞した傑作『時の流れに』からのカット。全米チャートで3週連続1位に。
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前年に「ザッツ・ザ・ウェイ(アイ・ライク・イット)」をスマッシュ・ヒットさせた彼らの、グルーヴ感に満ちたもうひとつの代表曲。こちらも全米チャートで1位となった。
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スプーキー・トゥースでの活動を経てソロに転じたゲイリー・ライトの代表曲。同名アルバムからのシングル・カットで、幻想的な曲調がすばらしい。全米で3週連続2位に登り詰めた。
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最高傑作との評価も多いアルバム『ステイション・トゥ・ステイション』からのヒット・ナンバー。全米チャート10位のヒットで、グルーヴ感に満ちたミステリアスな構成が絶妙。
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それまでのソウル・アプローチから、ディスコ/ダンス・ミュージック方向へと大きくシフト・チェンジした楽曲。そんなところが功を奏し、2週連続1位の結果を導き出した。
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暖かな雰囲気を持つデュエット・ナンバーで、エルトン・ジョンにとっては初の全英チャート1位となった記念碑的楽曲でもある。全米では4週にわたってトップの座を守り通した。
 
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1975年 Best Hitsセレクション
5年前の大阪万博と比較するといまイチな感じだった沖縄海洋博が開催された1975年は、3億円事件の刑事事件としての時効が成立した年でもある。88年には民法上でも時効ととなるわけだが、あの犯人、いまごろなにをしてるんでしょうね。なんて話はともかくも、南ヴェトナムが崩壊してヴェトナム戦争が終結し、時代は大きく変わろうとしていたのだった。「巨人軍は永遠に不滅です」と名言を残して長島も引退したしなぁ。変わったといえば人々の生活習慣にしてもそうで、使い捨てライターの「チルチルミチル」、「ペヤングソース焼きそば」、「カップスター」などお手軽商品が続出。暴走族に走る奴がいる一方でBCLラジオをいじる奴もいて、若者の価値観もまた多様化した。

音楽の世界ではキャンディーズが元祖萌え系としての存在感を高めるなかで、かまやつひろしが男同士の友情をアピール。細川たかしが「私バカよね」と自己否定するかたわらで、布施明はシクラメンに、バンバンは「いちご白書」に、イルカは「なごり雪」に、都はるみは「北の宿」に、太田裕美は「木綿のハンカチーフ」に恋人を思うのだった。さらにダウン・タウン・ブギウギ・バンドが港のヨーコの消息を語る足元の海では、必至に泳ぐたいやきくん。

海をわたって海外へ出向けば、KC&ザ・サンシャイン・バンドが「ザッツ・ザ・ウェイ」で踊りまくり、ビー・ジーズも「ジャイヴ・トーキン」で踊り、オリヴィア・ニュートン・ジョンはそよ風に誘惑され、ウィングスはあの娘におせっかいなことをしていて、なんだか情報量がものすごいことになってきたのである。(テキスト&選曲/印南敦史)
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スパイダーズの中心人物としての活動を経て、フォークへシフトしたかまやつの大ヒット・ナンバー。吉田拓郎が作詞作曲を手がけており、90万枚ものセールス実績を打ち立てた。
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小椋佳の作詞作曲によるヒット曲であり、66年の「霧の摩周湖」や79年の「君は薔薇より美しい」と並ぶ代表曲。第17回レコード大賞をはじめ、数々の賞を受賞することになった。
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3枚目のアルバム『コバルト・アワー』から5枚目のシングルとしてカットされた楽曲で、ユーミンの代表曲としてもあまりに有名。89年にはアニメ『魔女の宅急便』にも使用された。
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関西のカレッジフォーク・グループ、ウッディ・ウーのカヴァーであると同時に、彼らにとってのファースト・ヒットでもある記念碑的な楽曲。これを期に、アリスは快進撃を続けることに。
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昭和歌謡界を代表する名曲のひとつ。阿久悠による歌詞に描かれた冬の情景が、75年12月という発売時期とかみ合って多くの共感を呼んだ。76年度第18回レコード大賞を受賞。
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75年のヒット・ナンバーといえば、ダンス・クラシックとして現在でも支持されるこの曲をはずせない。K.C.の白人らしからぬ音づくりとヴォーカルには、普遍的な説得力が備わっている。
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アルバム『ヤング・アメリカン』からカットされた楽曲で、ジョン・レノンとの共作。全米2週連続1位となったこのヒットを契機として、ボウイは本格的なアメリカ進出を大成功させた。
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「キャン・ザ・キャン」、「悪魔とドライブ」などのヒットを送り出してきたクアトロが、75年の同名アルバムから放ったヒット・ナンバー。R&B色も感じさせる濃厚グルーヴ。
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モータウン・レーベルのガールズ・グループ、マーヴェレッツが61年にリリースしたシングルのリメイク(ビートルズによるカヴァーも有名)。年末に全米チャートで1位まで上昇した。
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73年に「レット・ミー・ビー・ゼア」でグラミー賞を受賞したオリヴィアが、この年に残した大ヒット。清涼感に満ちたヴォーカルと洗練された音づくりは、いまなお新鮮。
 
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1974年 Best Hitsセレクション
1974年を象徴する人物といえば、3月10日にフィリピン・ルパング島で30年ぶりに救出された元日本兵の小野田寛郎さん、そして10月14日に巨人軍の長嶋茂雄。北海道広尾線の愛国駅〜幸福駅間の切符が異常なブームとなった年でもある。

ストリーキングの話題で盛り上がりながらちょっと気持ち悪い紅茶キノコに群がる大人たちを尻目に、キッズは新製品のペヤングソース焼きそばに夢中。おなかが落ち着いたら、遊びの重要アイテムは超合金のマジンガーZですよ。で、教科書や参考書にラインマーカーを塗りたくり、すっかり勉強した気分になって満足していたのであった。実は密かに、『ノストラダムスの大予言』は当たるのだろうかという不安感を拭えずにもいたわけだが(ホント迷惑)。

音楽の世界だと、「赤ちょうちん」のかぐや姫や「私は泣いています」のりりィなど、団塊世代が大活躍。一方では山口百恵が「ひと夏の経験」でインパクトを与え、かと思えばさくらと一郎が「昭和枯れすすき」でひたすら暗く盛り下がるなど、まさになんでもアリな状態。洋楽なら、グランド・ファンクの「ロコ・モーション」あたりが高ポイントですか。しかし個人的には、なにを差し置いてもカンフー・ブームに便乗したカール・ダグラスの「吼えろ!ドラゴン」だな! あのバカっぽさって猛烈にかっこよかったな。あのヒット に乗じて、その後「ダンス・ザ・カンフー」って曲も出しました(完全に余談)。(テキスト&選曲/印南敦史)
「神田川」の後、「妹」の前にリリースされた彼らの代表曲。ちなみにこの曲からグループ名の「南こうせつと」が外され、かぐや姫名義で活動することになった。
岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲による楽曲で、ジャンルの枠を超えて広範な層から支持された大ヒット。日本歌謡大賞、日本レコード大賞など多くの賞を受賞した。
りりィのサード・シングルで、リリースされるや97万枚ものセールス実績を生んだ大ヒット・ナンバー。エキセントリックでハスキーなヴォーカルが話題となった。
ユナイテッド・アーティスト移籍後のファースト・ヒットで、3週連続1位をキープした。ゆったりとした曲調と、適度にリラックスしたヴォーカル・ワークが魅力的。
ボブ・マーリーのカヴァーで、レゲエの存在を知らしめるきっかけにもなった楽曲。意外なことに、クラプトンにとっては唯一の全米No.1ヒットでもある。
ジョン・デンヴァー /
「太陽を背に受けて」Sunshine On My Shoulder
広大な雰囲気を持っているからか、かつてはアメリカのイメージを象徴する楽曲としても認知されていた。
オールディーズ・ナンバーをロック・アレンジでカヴァーした、バンド名短縮後のサード・ヒット。2週連続1位のヒットとなった、彼らにとっての代表曲でもある。
全米チャート2週連続1位のヒットであると同時に、グラミー賞最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞を獲得した記念碑的楽曲。清涼感に満ちたヴォーカルが印象的だ。
全米1位を獲得した、アルバム『ファースト・フィナーレ』からのファースト・ヒット。絡みつくようなクラヴィネットのフレーズが、強烈な印象を残す。
シングル・ヒットはしなかったものの、JBを代表する名曲としてあまりにも有名。バック・バンドのJB'sによる、機械のように正確なバック・トラックにも耳を傾けたい。
 
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1973年 Best Hitsセレクション
第4次中東戦争の勃発に端を発するオイルショックは、日本にも大きな打撃をおよぼした。なかでも強烈すぎたのは、トイレットペーパー買い占めに奔走する主婦たちの姿だ。石油の供給制限が生産能力を低下させてモノ不足になり、トイレットペーパーが消えてなくなるという摩訶不思議噂が、秋の日本中を駆け巡ったのである。冗談みたいな歴史の真実。てな話にも表れているとおり、ヴェトナム戦争終結と時を経ずして幕を開けた1973年は、なかなか話題の多い年ではあったのだった。なにしろ魚介類のPCB汚染は問題化されるし、それ以前にも7月にはパリ行きの日航機がパレスチナ・ゲリラに乗っ取られるし、来日中だった韓国の金大中氏が九段のホテル・グランド・パレスから拉致されるし(金大中事件)……。とはいっても子どもにとっちゃ、やっぱりドリフのカトちゃんの「ちょっとだけよ」が一番ポイント高かったかな? 

音楽に焦点を当てて見れば、山口百恵、森昌子、桜田淳子の3人が「花の中三トリオ」として話題を振りまいたこの年はなかなかヴァラエティ豊かだったのだった。「狙いうち」の山本リンダは強烈だったし、かと思えば「パッパッパラッパッ」の金井克子はクールにキメるし、あのねのねに至っては脱力系の極みというべき「赤とんぼ」ですから。彗星のごとく登場したフィンガー5も、インパクト抜群ではありました。

まあ、そのような動向を社会の変化と無理やり結びつける必要はないかもしれないけれど、どうあれ価値観が急速に多様化したことは間違いないかもしれない。(テキスト&選曲/印南敦史)
ダイナミックなヴォーカルとダンサブルな曲調、そして(当時としては)エキセントリックなキャラクターによって大きな衝撃を与えた大ヒット・ナンバー。
'71年のデビュー・シングル「別れの朝」や、「五番街のマリーへ」と並ぶスマッシュ・ヒット。高橋真梨子(当時は高橋まり)のヴォーカルが心を打つ。
前年にデビューしたチューリップにとっての3枚目のシングルで、最も知名度の高い傑作。オリコン・チャート1位を獲得し、以後の活躍の足がかりになった。
「ひなげしの花」でデビューするや高音ヴォーカルで衝撃を与えることになったアグネスの、もうひとつの大ヒット。日本レコード大賞新人賞を獲得した。
アイドル歌謡の名曲で、まだ左利きへの偏見が残っていた時代にあえてその点を強調し、結果的には偏見のを薄めることになったという意味でも有意義な一曲。
結婚式の定番ソングとしてもあまりに有名な、最大のヒット・ナンバー。メルヘンチックな歌詞と親しみやすい曲調、ふたりのハーモニーが大きく支持された。
ジャクソン5にヒントを得て結成された兄弟姉妹グループによるファースト・シングルにして最大のヒット曲。晃のヴォーカル能力が大きな話題となった。