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3月31日には赤軍派が、日本初のハイジャック事件として知られる「よど号事件」で世間を騒がせることに。でも、この年を象徴する出来事といえば、やっぱり大阪で開催された日本万国博覧会に尽きるでしょ。なんたって「人類の進歩と調和」ですよ。テレビではNHKと民放を合わせて10種もの万博関連番組が毎日放映されていたし、とにかく国民全体が万博一色でしたからねー。と、当時の筆者が子供の目で見て思っていただけかもしれないけれど、いや〜、それでも後年に開催された「沖縄海洋博」とか「つくば博」とかとはスケールが違いましたぜ。
三波春夫の「世界の国からこんにちは」は、小学生の愛唱歌でもありました。それはさておいても、この年はソルティー・シュガーの「走れコウタロー」を筆頭に、トワ・エ・モアの「誰もいない海」やジローズの「戦争を知らない子供たち」など、子どもの耳にもなじみやすい楽曲が他にも次々と登場しましたなあ。他にもいしだあゆみ「あなたならどうする」、藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」、ちあきなおみ「四つのお願い」、和田アキ子「笑って許して」など、数え始めればきりがありません。
洋楽ならばサイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」、ビートルズの「レット・イット・ビー」、シカゴの「長い夜」、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」、カーペンターズの「クロース・トゥ・ユー」が印象的かな。そうそう、映画『明日に向かって撃て』の主題歌にもなったB.J.トーマスの「雨にぬれても」も素敵な曲でしたね。(テキスト&選曲/印南敦史)
トワ・エ・モア
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「誰もいない海」
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試聴
山室英美子と芥川澄夫からなるデュオ・グループで、前年に「或る日突然」でデビュー。以来4年の間に「空よ」「虹と雪のバラード」など数々のヒットを生み出していった。これも、あまりに有名な代表曲。
加藤登紀子
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「知床旅情」
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試聴
森繁久彌が生み出した名曲のカヴァーであると同時に、日本の歌謡史に残る珠玉の銘品。新人賞を獲得した1966年の「赤い風船」に続いて、この年の日本レコード大賞で歌唱賞を受賞することにもなった。
ジローズ
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「戦争を知らない子供たち」
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試聴
北山修作詞、杉田二郎作曲による大ヒット・ナンバー。オリコンチャートで11位まで登って19万6,000枚をセールスし、この年の日本レコード大賞新人賞を受賞。北山修は個人名義でも作詞賞を受賞した。
ソルティー・シュガー
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「走れコウタロー」
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試聴
山本コウタローを中心として前年にデビューしたフォーク・グループが、この年に放った大ヒット。当時の都知事だった美濃部亮吉の物まねも登場するコミカルな展開がウケて、幅広い年齢層から支持された。
ジャクソン5
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「アイル・ビー・ゼア」
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試聴
圧倒的な歌のうまさで大人気だった少年期のマイケル・ジャクソンを中心とした彼らの、「ABC」「アイ・ウォント・ユー・バック」などに次ぐ4枚目の全米ナンバー1。5週にわたってトップの座をキープした。
カーペンターズ
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「クロース・トゥ・ユー」
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試聴
4週1位の実績を生み出した、初の全米大ヒット。バート・バカラックによる魅惑のメロディ・ライン上で、透明感に満ちたボーカルが際立つ永遠の名曲。いま聴いても充分に新鮮で、そして感動的。
エドウィン・スター
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「黒い戦争」
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試聴
ヴェトナム戦争への反対の意志を込めたプロテスト・ソングであると同時に、彼を代表する楽曲でもある。パワフルで説得力に満ちたボーカルが多くの共感を呼び、全米3週連続1位に。ただし邦題は疑問……。
エルヴィス・プレスリー
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「ザ・ワンダー・オブ・ユー」
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試聴
『ライヴ・アット・ラスヴェガス』からカットされたナンバー。クロスオーバー・シンガーへとスタイルを変化させた後期のエルヴィスを象徴するポップなバラードで、おばちゃん層大興奮。全米9位のヒットに。
スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ
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「ティアーズ・オブ・ア・クラウン」
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試聴
67年のアルバム『メイク・イット・ハプン』に収録され、この年に大ヒットしたモータウン・クラシック。スモーキーならではのキャッチーなメロディラインが心地よく、R&Bチャート3週、ポップ・チャート2週1位。
シカゴ
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「長い夜」
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試聴
オリジナル・タイトルは「25 or 6 to 4」。全米チャート4位まで上昇したセカンド・ヒットであり、彼らを語るうえで欠かせない名曲。日本では、1993年にコスモ石油のCMソングにもなった。
1969年は、人類が初めて月面着陸に成功した年として記憶される年だ。NASAアポロ11号の着陸船「イーグル」が7月20日、月面の「静かの海」に着陸したのだった。最近になって疑惑説もささやかれてはいるけれど、当時の話題を独占したことは事実。翌70年の日本万国博覧会では、アメリカ館に出品された「月の石」を見るために何時間も並んだしなあ(あれはなんだったんだろう)。しかしその半年前の1月15日には東大安田講堂に立てこもった全学共闘会議派学生が催涙弾や放水で排除されたり、4月には連続ピストル射殺事件の容疑者永山則夫が逮捕され、11月には佐藤首相が訪米して1972年の沖縄返還が決定し…と波瀾万丈。ベトナム戦争が泥沼化するなか、アメリカではヒッピー・ムーヴメントが頂点に達し、8月15日からの3日間にわたって伝説の野外コンサート「ウッドストック」が開催され、まさに激動の時期ではあった。
グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、ジミ・ヘンドリクス、ドアーズなどなど、歴史に名を残すアーティストも大活躍しておりました。国内なら、やっぱ新宿西口フォークゲリラですかね。新宿にはヒッピー、たくさんいたよなあ。幼稚園児だった筆者も、派手な格好をして昼間っから寝転ぶションベンくさい人たちのことは鮮烈におぼえてます。あの光景って、この年に流行ったビリー・バンバンの「白いブランコ」やはしだのりひことシューベルツ「風」の爽やかなイメージとは対極にあった気がするのだが。(テキスト&選曲/印南敦史)
ビリー・バンバン
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「白いブランコ」
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試聴
青山学院大学出身の兄弟デュオによるデビュー曲。彼らの代表曲でもあり、フォーク・グループの代表格としての地位を確立することになった。ちなみに初期、このグループにはせんだみつおが在籍していた。
はしだのりひことシューベルツ
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「風」
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試聴
フォーク・クルセダーズを解散後のはしだのりひこが、杉田二郎、越智友嗣、井上博と始動させたフォーク・グループの最大のヒット曲。北山修による歌詞も支持され、年間シングル・チャート10位となった。
由紀さおり
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「夜明けのスキャット」
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試聴
山上路夫作詞、いずみたく作曲によるデビュー・シングル。独特の雰囲気が受けて、日本全国にスキャット・ブームを巻き起こすことに。なおピアノは、小沢健二の作品に参加したことでも知られる渋谷毅が担当。
トワ・エ・モア
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「或る日突然」
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試聴
山室英美子と芥川澄夫氏からなるフォーク・デュオのデビュー・シングル。カーペンターズにも通じる透明感が支持され大ヒットした。90年代には、ドラマ「嘘つきは夫婦のはじまり」のテーマソングにも。
ローリング・ストーンズ
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「ホンキー・トンク・ウィメン」
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試聴
7月に全米4週連続1位を記録した大ヒット・ナンバー。しかしこの後、カリフォルニアで開催されたコンサートでヘルズ・エンジェルズによる刺殺事件「オルタモントの悲劇」が発生することになる。
ザ・テンプテーションズ
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「アイ・キャント・ゲット・ネクスト・トゥ・ユー」
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試聴
R&Bチャート5週連続1位、ポップ・チャート2週連続1位となった大ヒット。サンドラ・ブロック、ハリー・コニック・ジュニア主演による1998年の映画『微笑みをもう一度』のサントラにも収録された。
ニール・ダイアモンド
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「スイート・キャロライン」
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試聴
ロックからカントリーまでの幅広い基盤を持つシンガーソングライターである彼が、7月に放ったシングル。全米チャート4位まで登った。誰でも一度は耳にしたことがある親しみやすいメロディが魅力。
ビー・ジーズ
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「若葉のころ(First Of May)」
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試聴
英国系オーストラリア人の三人兄弟グループによる代表曲。美しいハーモニーを武器に、全英6位、全米37位のヒット記録を残した。日本では、90年代に放映された同名ドラマの主題歌としても有名。
ダスティ・スプリングフィールド
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「プリーチャー・マン」
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試聴
モータウン・サウンドのバックグラウンドを持つ、イギリス出身の白人シンガーのヒット。1994年にはクエンティン・タランティーノ監督作品『パルプ・フィクション』サントラにも収録された。
クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル
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「プラウド・メアリー」
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試聴
前年のデビュー曲「スージー・Q」に次ぐセカンド・ヒットで、彼らを代表する名曲。全米チャート3週連続2位を記録した。泥くさく暖かみのあるサウンドと、ジョン・フォガティのヴォーカルが新鮮。
年明け早々、新登録医制度に反対した東大医学部学生が無期限ストに突入。6月15日には安田講堂も占拠しちゃって、いわゆる東大紛争が世を騒がせました。他にも金嬉老事件、十勝沖地震、小笠原諸島復帰、川端康成のノーベル賞受賞とニュース続発。黒人指導者のマーティン・ルーサー・キング牧師が射殺され、その2ヶ月後に次期大統領候補だったロバート・ケネディー上院議員が狙撃され…と、海の向こうのアメリカでも大事件が。
音楽の世界に目を向けてみれば、トピックはモンキーズの来日かな。グループサウンズも絶頂期を迎え、タイガース、オックス、ザ・テンプターズ、ザ・ゴールデン・カップスなどがヒット連発。お子様の世界では、「あしたのジョー」「アタックNo.1」「タイガーマスク」「サインはV!」、そしてアニメが大ブレイクした「巨人の星」などスポーツ漫画花盛りでした。一方、「ハレンチ学園」の影響でスカートめくりが全国の小学校で大流行(筆者もそれで吊るし上げられた経験あり)。そういえば「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」なんてCMもありましたな。
海外だと、やっぱりビートルズの「ヘイ・ジュード」、映画『卒業』のテーマでもあるサイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」でしょうか。でも、マーヴィン・ゲイ、ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスなど、モータウン勢の大活躍も大いに評価したいところ。あ、それからポール・モーリアの「恋は水色」なんてのもありましたね。(テキスト&選曲/印南敦史)
黛ジュン
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「天使の誘惑」
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試聴
前年に「恋のハレルヤ」でデビューした彼女の4枚目のシングル、なかにし礼作詞、鈴木邦彦作曲による楽曲で、80万枚のセールスを記録。日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞した。
ザ・テンプターズ
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「エメラルドの伝説」
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試聴
3枚目のシングルであり、なかにし礼作詞、村井邦彦作曲による、グループサウンズ全盛期を代表する名曲。萩原健一のボーカルが広く受け入れられ、オリコンチャート後1位の実績を打ち立てることに。
ザ・ゴールデン・カップス
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「長い髪の少女」
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試聴
デイヴ平尾以下、のちにゴダイゴで活躍するミッキー吉野、ピンク・クラウドのメンバーとなるルイズ・ルイス加部らも在籍していた実力派GSグループの代表曲。冒頭のメランコリックなギターがポイント。
ヒデとロザンナ
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「愛の奇跡」
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試聴
小柳ルミ子「星の砂」などの作曲者としても知られる出門英と、イタリア出身のロザンナ・ザンボンによるデュオのファースト・ヒット。洗練されたメロディが支持され、定番デュエット曲として現在も人気。
マーヴィン・ゲイ
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「悲しいうわさ」
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試聴
ポップ・チャート7週連続1位という快挙を成し遂げた60年代の大ヒットであると同時に、彼を代表するナンバーのひとつ。ノーマン・ウィットフィールドの手がけた楽曲を、熱く感動的に歌い上げる。
ボビー・ゴールズボロ
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「ハニー」
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試聴
ロイ・オービソンとのツアー経験も持ち、60年代に精力的な活動を続けたシンガーソングライターの代表曲。ポップ・チャートで5週連続1位となったほか、カントリー・チャート等でもヒットした。
オーティス・レディング
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「ドック・オブ・ザ・ベイ」
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試聴
1967年の飛行機事故による死の3日前に録音され、スティーヴ・クロッパーの手を加えたかあたちでこの年の2月にシングル・カットされた世界的大ヒット。代表曲としていまなお語り継がれている。
ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス
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「ラヴ・チャイルド」
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試聴
育ての親であるプロデューサー・チーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドの手を離れた3人が放ったヒットで、2週連続1位を記録。当時のアメリカで社会問題化していた私生児について歌っている。
アーチー・ベル&ザ・ドレルズ
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「タイトゥン・アップ」
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試聴
ポップ・チャート2週連続1位となった代表曲だが、リーダーのベルはヒットした当時陸軍におり、昼食時にラジオから自分の曲が流れてきて驚いたのだとか。うねるベースとシャープなリズムがポイント。
ステッペンウルフ
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「ワイルドでいこう」
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試聴
前年にロサンジェルスで結成された5人組ハード・ロック・バンドによる、3週連続2位の記録を残したシングル。70年の映画『イージー・ライダー』に使用されて世界的なヒットとなった。
4月に社会、共産両党連合の美濃部亮吉が当選した1967年。手塚治虫「火の鳥」、赤塚不二夫「天才バカボン」「もーれつア太郎」、川崎のぼる「いなかっぺ大将」、モンキーパンチ「ルパン3世」など昭和の漫画クラシックスが続々と登場した時期でもあり、テレビも「トッポ・ジージョ」「パーマン」「仮面の忍者赤影」「黄金バット」「光速エスパー」「ジャイアント・ロボ」そして「ウルトラセブン(「ウルトラマン」にくらべると、ストーリーが子どもには難しかったっすよね)」とお子様番組花ざかり。
山本直純が気球に乗って「大きいことはいいことだ」と歌い、レナウンは「イエイエ」で王貞治が「ナボナはお菓子のホームラン王です」と断言し、8月に「パックイン・ミュージック」、10月に「オールナイトニッポン」が始まって深夜放送ブームが訪れたのだった。まさにお子様〜若者天国で、音楽の世界ではグループサウンズが大ブーム。ジャッキー吉川とブルー・コメッツが「ブルー・シャトウ」で第9回日本レコード大賞を受賞し、タイガース、スパイダーズ、カーナビーツ、モップスらも奮闘した。しかし子どもの耳に新鮮だったのは、フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」でしょう。そういえば、同じく当時の小学生が歌っていた「一年生になったら」も、この年にできた曲なのだ。
海外ではビートルズの「ハロー・グッバイ」、ヤング・ラスカルズの「グルーヴィン」あたりが印象的ですかね。モンキーズが「デイドリーム・ビリーヴァー」をシアワセ感たっぷりに歌う一方、ドアーズが「ハートに火をつけて」で衝撃を与えたのも、なんだか象徴的な感じではあります。(テキスト&選曲/印南敦史)
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
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「ブルー・シャトウ」
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試聴
第9回日本レコード大賞受賞曲。子どもには「♪森トンカツ、泉ニンニク、か?コンニャク、まれテンプラ、静かニンジン?」という(いま思えば意味不明な)替え歌の方が有名だった?
黛ジュン
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「恋のハレルヤ」
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試聴
64年にデビューしたもののヒットに恵まれなかったため、改名して放ったスマッシュ・ヒット。ミニスカートのルックスとパワフルなヴォーカルが受け、70万枚のセールス実績を打ち立てた。
美樹克彦
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「花はおそかった」
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試聴
「どんなに空が晴れたって それが何になるんだ 大嫌いだ 白い雲なんて!」というインパクト抜群の語り、そして「♪かおるちゃん 遅くなってごめんね」と、これまた強烈なサビが大当たり。
佐良直美
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「世界は二人のために」
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試聴
120万枚を売り上げたデビュー・シングルで、レコード大賞を受賞した69年の「いいじゃないの幸せならば」と並ぶ代表曲。伸びやかで広がりのある歌声が、幅広い層からの支持を獲得した。
森山良子
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「この広い野原いっぱい」
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試聴
ジョーン・バエズの影響でフォーク・グループを結成したのち、ソロ・シンガーとして放ったデビュー・シングル。「今日の日はさようなら」と並ぶ、小中学生の定番ナンバーとしても有名。
ルル
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「いつも心に太陽を」
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試聴
64年にソロ・デビューしたルルの初主演で話題となった、米英合作映画『To Sir With Love』のテーマソング。全米チャートで1位となり、全世界で400万枚のセールス実績を叩き出した。
ハーマンズ・ハーミッツ
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「見つめあう恋」
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試聴
「ミセス・ブラウンのお嬢さん」などで知られる60年代イギリスのグループによる代表的ナンバー。アメリカでも大ヒットした。また、のちにカーペンターズがカヴァーしたことでも有名。
アソシエーション
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「ウィンディ」
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試聴
ビーチ・ボーイズの影響下に位置し、美しいハーモニーを武器に数々のヒットを残したカリフォルニアのバンドがアソシエイション。これは全米チャート1位を獲得した、彼らを代表する楽曲だ。
ヤング・ラスカルズ
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「グルーヴィン」
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試聴
フェリックス・キャバリエを中心とするニューヨーク出身のグループが生み出した傑作。全米チャートのトップに登り詰めた。ブルー・アイド・ソウルの先がけで、黒人層からも支持された。
ドアーズ
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「ハートに火をつけて」
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試聴
この年にリリースされたデビュー・アルバムからのスマッシュ・ヒット。レイ・マンザレクのオルガン、そして内に内に入り込むようなジム・モリソンのヴォーカルが強力なロック・クラシック。
66年の大ニュースといえば、やはりビートルズの来日! 3月に『ラバーソウル』をリリースした彼らが、6月29日に日本上陸したのだった。ステージに向かって熱狂し、挙げ句の果てに失神する女子の姿は何度もテレビに映し出されたものだが、演奏時間が35分って、いまならクレームものですなあ。
それはともかく、これが追い風となって日本のグループサウンズも大躍進。前年にデビューしたザ・スパイダースやジャッキー吉川とブルーコメッツをはじめ、ザ・ワイルドワンズ、ザ・ゴールデン・カップスなど多くのバンドが世に出たのだった。一方でマイク真木は「バラが咲いた」と平和に歌い、沢たまきは「ベッドで煙草を吸わないで」と火事撲滅を訴え(違うだろう)、森山良子は「今日の日はさようなら」と感動的に歌い上げる状況。ちなみに「こまっちゃうな」でデビューした山本リンダは、まだ16歳でした。で、洋楽に目を向けてみてもママス&パパス「夢のカリフォルニア」、サイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」、ローリング・ストーンズ「黒くぬれ」など、歴史に残る名曲が多数誕生。
急成長を遂げていたテレビの世界では、「ウルトラQ」や「ウルトラマン」、「悪魔くん」に「おそ松くん」、「鉄腕アトム」、「マグマ大使」、「怪獣ブースカ」、「魔法使いサリー」とお子様番組充実しまくり。「サンダーバード」や「バットマン」など海外番組も加わり、子どもたちの感心を引きつけてやまなかった。そうそう、傑作ホームコメディ「奥様は魔女」がはじまったのもこの年ですね。(テキスト&選曲/印南敦史)
デューク・エイセス
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「いい湯だな」
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試聴
ザ・ドリフターズによるカヴァー・ヴァージョンも有名な、永六輔作詞、いずみたく作曲による昭和の名曲。デューク・エイセスが得意としたご当地ソングの代表格。
青江三奈
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「恍惚のブルース」
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試聴
高校生時代から歌いはじめた青江三奈が、クラブ歌手を経てこの年にリリースしたデビュー・シングル。作詞を川内康範、作曲を浜口庫之助が手がけ、80万枚のヒット実績を打ち立てた。
マイク真木
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「バラが咲いた」
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試聴
モダン・フォーク・カルテットでの活動後、大学生だったこの年に発表したソロ・デビュー・シングル。30万枚の大ヒットとなり、カレッジ・フォーク・ブームの原点でもある。
荒木一郎
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「空に星があるように」
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試聴
『バス通り裏』で俳優活動を開始した荒木一郎が、音楽の才能も発揮することになるきっかけとなったデビュー・シングル。DJを務めていた東海ラジオの番組のテーマソングでもあった。
布施明
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「霧の摩周湖」
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試聴
作詞・水島哲、作曲・平尾昌晃の黄金コンビが生み出したヒット・ナンバーで、布施明を代表する悲壮感に満ちた名曲。北海道・摩周湖の知名度を一気に高めることにもなった。
シュープリームス
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「恋はあせらず」
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試聴
全米チャート2週連続1位を記録した代表曲。快活な<メロディラインがCMソングとしてもおなじみであるほか、フィル・コリンズがカヴァー・ヒットさせたことでも有名。
ローリング・ストーンズ
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「黒くぬれ」
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試聴
初の全曲オリジナル作品としても有名なアルバム『アフターマス』からのシングル・カット・ナンバー。全米チャートでも2週連続1位となった、彼らの代表曲のひとつ。
モンキーズ
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「アイム・ア・ビリーバー」
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試聴
オーディションから誕生したモンキーズが、TV番組『ザ・モンキーズ・ショー』との連動で生み出した大ヒット。ニール・ダイアモンドによる楽曲で、7週連続1位の快挙を成し遂げた。
ママス&パパス
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「マンデイ・マンデイ」
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試聴
全米4位となったデビュー曲「夢のカリフォルニア」に次ぐシングルで、3週連続1位を達成。グラミ−賞「最優秀コンテンポラリ−・ロックン・ロ−ル・グル−プ」を受賞した。
フランク・シナトラ
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「夜のストレンジャー」
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試聴
ジェームズ・ガーナー主演映画『ダイヤモンド作戦』の主題歌であり、全米1位となったシナトラの代表的ナンバー。グラミー賞「最優秀レコード賞」受賞曲としても知られている。
正月には横浜で、16人もの女性が晴れ着に硫酸をかけられる事件が発生。そして1月11日には、東京で日本初のスモッグ警報発令。アメリカに目を向ければ2月21日に黒人指導者のマルコム・Xが射殺され、日本では翌日に北海道の夕張炭坑でガス爆発が起こり61人が死亡したのが1965年。なんて書き出すといかにも暗い年みたいに聞こえてしまいますか?けれども高度成長期の中間地点だけあって、アイビールックが流行してテープレコー ダーが発売され、アートネイチャーが男性かつらブームを巻き起こすなど、従来の価値観を打破する新たな動きが多方面から巻き起こった年でもあったのだった。
お子たちがテレビの「オバケのQ太郎」と「ジャングル大帝」に夢中になったことにも象徴されるとおりエンタテインメントにも勢いがあり、高倉健が「網走番外地」で熱演したかと思えば、加山雄三は海にエレキに若大将全開状態。加えて浜辺で「君といつまでも」なので、とても忙しそうなのである。奥村チヨがジローにごめんと謝る一方で、菅原洋一が「あなたの過去など知りたくないの」と歌えば、回転禁止な青春の美樹克彦は「俺の選んだこの道が 廻り道だと云うのかい」と突っ込む始末。
かと思えば海の向こうではローリング・ストーンズが「満足できねえ!」と訴え、ビートルズが「ヘルプ!」と助けを求め、ハーマンズ・ハーミッツはミセス・ブラウンに「娘さん、かわいいですね」とお世辞を言うのだった。それを横目で見ていたボブ・ディランは、「転がる石のように行こうぜ」とオトナの姿勢。(テキスト&選曲/印南敦史)
日野てる子
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「夏の日の想い出」
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試聴
1962年に全日本ハワイアンコンテストで優勝し、62年にハワイアン歌手としてデビューした彼女がこの年に生んだ代表曲。100万枚以上のセールス実績を残す大ヒットとなった。
デューク・エイセス
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「女ひとり」
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試聴
永六輔作詞、いずみたく作曲にという黄金のコンビによる定番昭和歌謡。「♪京都大原三千院 恋に疲れた女がひとり」という歌詞は、ファンならずとも聴きおぼえがあるはず。
菅原洋一
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「知りたくないの」
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試聴
伸び悩んでいた菅原の知名度を一気に高めることになった名曲。なかにし礼が手がけた「♪あなたの過去など 知りたくないの」という歌詞が大きなインパクトを生み出すことになった。
奥村チヨ
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「ごめんねジロー」
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試聴
高校卒業後のこの年に「私を愛して」でデビューし、“和製シルヴィ・バルタン”として人気を獲得した彼女の代表曲のひとつ。これによってフジテレビ新人奨励賞を受賞した。
田代美代子/和田弘とマヒナスターズ
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「愛して愛して愛しちゃったのよ」
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試聴
スチール・ギター奏者の和田弘を中心とした人気バンドのマヒナスターズと、田代美代子の共演ナンバー。大ヒットを記録し、第7回レコード大賞新人賞を受賞した。
ローリング・ストーンズ
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「サティスファクション」(I Can't Get No) Satisfaction
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試聴
ミック・ジャガーとキース・リチャーズの共作で、いまさら説明するまでもない代表曲。ストーンズにとって発の全米トップ・ヒットとしても知られ、6月に4週連続1位を獲得した。
ハーマンズ・ハーミッツ
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「ミセス・ブラウンのお嬢さん」Mrs.Brown You've Got A Lovely Daughter
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試聴
60年代ブリティッシュ・インヴェイジョンの流れに乗り、アイドル性も活かしながら大成功を収めたバンドのサード・ヒット。4月に全米チャート3週連続1位の実績を残した。
アニマルズ
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「悲しき願い」Don't Let Me Be Misunderstood
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試聴
エリック・バードン率いるアニマルズの、名曲「朝日のあたる家」と並ぶヒット・ナンバー。ニーナ・シモンの楽曲のリメイクで、全米チャートでも15位まで上昇した。
ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ
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「恋のダイアモンド・リング」This Diamond Ring
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試聴
喜劇俳優ジェリー・ルイスの息子であるゲイリーを中心としたグループのデビュー曲であり、最も知られるヒット・ナンバー。ソングライターをアル・クーパーが担当している。
テンプテーションズ
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「マイ・ガール」My Girl
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試聴
モータウン・レーベルを代表する黒人コーラス・グループが、この年の初めに打ち立てた全米ナンバー・ワン・ヒット。デヴィッド・ラフィンの熱く包容力のあるヴォーカルが魅力。
1964年最大の一大ニュースといえば、やはり10月10日から開催された東京オリンピックに尽きるでしょう。首都高速が開通し、浜松町〜羽田空港間にモノレールが、東京〜大阪間に東海道新幹線が開通した年でもあり、高度成長期のなかで時代が一気に加速したのであった。ちなみに今なお黒人層に大きな影響を与え続ける、マーティン・ルーサー・キング牧師がノーベル平和賞を受賞している。
カルチャー面に目を向けてみれば、アイビールックが大流行。銀座みゆき通りに通称みゆき族があふれ、そんななかで未成年100人が補導されるなんていう事件も起こったりした。一方、テレビをつければイヤミが「シェー!」を連発し、ドン・ガバチョやトラヒゲがひょっこりひょうたん島で大騒ぎし、忍者部隊月光が果敢に戦い、トムとジェリーが“仲よく喧嘩”してカギッ子たちを魅了。
音楽の世界では初の主演映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』を公開したビートルズが一番人気。「抱きしめたい」「シー・ラヴズ・ユー」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」などヒットを連発した。アニマルズの「朝日の当たる家」やボブ・ディランの「風邪に吹かれて」が誕生したのもこの年だ。歌謡曲なら、坂本九の「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」やザ・ピーナッツの「ウナ・セラ・ディ東京」、そして先ごろ亡くなった植木等の「だまって俺について来い」ですかね。振り返るだけでも、なんだか猛烈にいい時代という感じだ。(テキスト&選曲/印南敦史)
三田明
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「ごめんねチコちゃん」
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試聴
ほどよくラテン風味が加えられたバンド演奏も心地よい、この年のヒット・ナンバー。歌詞も含めて全体に漂う、暖かくちょっとコミカルなムードが魅力的だ。
都はるみ
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「アンコ椿は恋の花」
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試聴
デビュー・シングル「困るのことヨ」に続き、都はるみがこの年に放ったファースト・ヒット。サビの部分のフレーズは、誰でも一度は真似した経験があるはず。
前川陽子
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「ひょっこりひょたん島」
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試聴
数十年を経た現在でも知らない人はいないであろう、NHKの同名子供番組主題歌。井上ひさしが作詞を手がけ、前川陽子の明るい歌声とともに広く愛された楽曲だ。
シュープリームス
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「ベイビー・ラヴ」Baby Love
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ダイアナ・ロスを生んだシュープリームスの大ヒットで、10月のポップ・チャート4週連続1位を記録。躍進していたモータウン・レーベルを象徴する一曲でもある。
マーサ・アンド・ザ・ヴァンデラス
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「ダンシング・イン・ザ・ストリート」Dancing In The Street
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ポップ・チャート2週連続2位となったこの曲も、モータウンの傑作のひとつ。デヴィッド・ボウイやグレイトフル・デッドなど多くのアーティストもカバーしている。
アニマルズ
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「朝日の当たる家」The House Of The Rising Sun
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オルガンの音色が印象的な、アニマルズのファースト・ヒット・ナンバー。ポップ・チャート3週連続1位を記録し、彼らを象徴する楽曲として現在も人気を維持している。
ビーチ・ボーイズ
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「アイ・ゲット・アラウンド」I Get Around
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彼らの代表曲でもある全米No.1ヒット。軽快なヴォーカルと疾走感にあふれた展開には、初期ビーチ・ボーイズならではの魅力が充満している。
キングストン・トリオ
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「花はどこへ行った」Where Have All The Flowers Gone
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フォークソングのフォークとポップの中間地点に位置するグループによる、ピート・シーガーの代表曲カヴァー。最も有名な反戦歌として広い世代に親しまれている。
マット・モンロー
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「ウォーク・アウェイ」Walk Away
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「ロシアより愛を込めて」テーマ曲でも知られるマット・モンローのヒット。ロマンティックな曲調と切ない歌詞が心に残る、スタンダードなラヴ・ソングだ。
アストラッド・ジルベルト/スタン・ゲッツ
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「イパネマの娘」The Girl From Ipanema
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ゲッツのテナー・サックスとジルベルトの暖かいヴォーカルが理想的な配分で融合した、ボサ・ノヴァの歴史に残る永遠の名曲。ポップ・チャート5位まで上った。
3月31日に起きた吉展ちゃん誘拐事件が子供を持つ親を震撼させたかと思えば、およそ半年後の11月9日には三井三池炭鉱爆発事故では400人を超える死者と800人以上の重軽傷者が。しかも、こともあろうに同じ日には国鉄鶴見事故で161人が死亡し、71人が重軽傷。さらにアメリカでは11月22日にケネディ大統領が暗殺され……と、振り返ってみれば血なまぐさい事件がずいぶん多かったようにも思えるのが1963年。とはいっても世間のムードが始終沈んでいたわけでは当然なく、伊藤博文の肖像画を配した新千円札が発行されたり、名神高速が開通するなど新しい時代の到来を予感させたりもしたのだった。
音楽の世界でも、三波春夫の「東京五輪音頭」、三田明「美しい十代」、そして第5回レコード大賞を受賞した梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」など、 前向きな(という見方ができなくもない)曲が好まれた年でもある。で、その真骨頂が、6月にアメリカで1位を獲得した坂本九の「Sukiyaki」こと「上を向いて歩こう」だ(そういえば蛇足だが、以前ボビー・コールドウェルに話を聞いたとき、彼は“Sukiyaki”は楽曲の構造が西洋の曲にとても近いので、僕も幼いころからすんなりと受け入れることができたんだ」と話していた)。
ちなみにスティーヴィー・ワンダーがわずか13歳でトップに立った年でもある'63年、イギリスではビートルズが「プリーズ・プリーズ・ミー」で全英1位の記録を打ち立てている。なんだかすごい偶然の重なりだ。いや、これこそ時代の必然ってことか。(テキスト&選曲/印南敦史)
井沢八郎
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「男船」
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俳優・工藤夕紀の父親である伊沢が、上京後の苦節を経てこの年に発表したデビュー・シングル。この曲があったからこそ、続く「ああ上野駅」が生まれた。
三田明
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「美しい十代」
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歌手/俳優として60年代に大活躍した三田の、記念すべきデビュー・シングル。美しい歌声も話題となった、今なお歌い継がれる永遠の青春歌謡の金字塔。
スティーヴィー・ワンダー
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「フィンガーティップス - パート2」Fingertips - Pt 2
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13歳にして“リトル・スティーヴィー・ワンダー”名義でリリースしたファースト・ヒット。R&Bチャート6週、ポップ・チャート3週1位の記録を打ち立てた。
フォー・シーズンズ
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「ウォーク・ライク・ア・マン」Walk Like A Man
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60年代の代表的コーラス・グループである彼らがこの年に放ち、3週連続1位の実績を作り上げた傑作。全盛期を代表する、絶対にはずすことのできない一曲だ。
ピーター・ポール&マリー
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「パフ」Puff, The Magic Dragon
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男女混成フォーク・グループとして'62年にデビューした3人の、やさしくポップな感覚が存分に味わえる代表曲のひとつ。全米チャートで2位まで登った。
カスケーズ
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「悲しき雨音」Rhythm Of The Rain
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冒頭に聞こえる雨音のSEも心に残る唯一のヒット曲、にして永遠のポップ・スタンダード・ナンバー。ザ・ピーナッツがカヴァーしたことでも知られている。
ビーチ・ボーイズ
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「サーフィンUSA」Surfin' USA
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軽快な曲調が大きな支持を呼び、全米チャート3位までかけのぼったセカンド・ヒット。紛うことなき代表曲で、'74年にもリヴァイヴァルヒットした。
アントニオ・カルロス・ジョビン
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「イパネマの娘」The Girl From Ipanema
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ボサ・ノヴァの王者として知られるジョビンが放った、歴史に残る名曲。柔らかで心地よい曲調とヴォーカルは、40年以上の歳月を経てもまったく色あせない。
ロイ・オービソン
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「イン・ドリームス」In Dreams
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透明感のあるファルセット・ヴォイスと伸びやかなヴォーカル・ワークで人気を獲得した彼の、中期を代表する一曲。ポップ・チャートで7位まで上昇した。
スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ
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「リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー」You've Really Got A Hold On Me
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R&Bチャート1位、ポップ・チャート8位のヒット。ソングライター/シンガーとしてのスモーキー・ロビンソンの才能が、存分に発揮されている。
当時23歳だった堀江謙一が5月12日、小型ヨット「マーメード」で兵庫県の西宮ヨットハーバーからアメリカへ出帆。94日もの航海は1962年の大きな話題となり、サンフランシスコ到着後の「孤独との戦いだった」は流行語にもなった(映画化もされた)。一方、睡眠薬の過剰摂取によるマリリン・モンローの死も大きな衝撃を与えたこの年は、常磐線三河島駅で列車が脱線衝突(5月)したり、川崎港で日本とノルウェーのタンカー同士が衝突炎上(11月)するなど大規模事故が相次いだことも特徴だったりする。しかし一方では赤塚不二夫のマンガ「おそ松くん」が人気を呼び、ハナ肇とクレイジーキャッツが大活躍するなど、ナンセンスな感性が受け入れられた年でもあるのだから厄介だ(というほどのことでもないけど)。
ヒット・ソングで輝きを放っていたのは、橋幸夫と吉永小百合のデュエット・ナンバー「いつでも夢を」。親しみやすく暖かいメロディが圧倒的な支持を受け、レコード大賞も受賞した。また他にもダーク・ダックス「山男の歌」、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、中尾ミエ「可愛いベイビー」、ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」、倍賞千恵子「下町の太陽」、そして童謡の「おもちゃのチャチャチャ」など、後年に語り継がれる名曲の数々が生まれていてなかなか華やか。洋楽の世界も、レイ・チャールズ、ピーター・ポール・アンド・マリー、シュレルズ、ボビー・ヴィントン、チャビー・チェッカーらが活躍して百花繚乱ですなあ。(テキスト&選曲/印南敦史)
弘田三枝子
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「すてきな16