昭和のある時期にフォークやニューミュージック、あるいは日本のロックを聴いていた人なら、「ポプコン」という名称にはなんらかの思い入れとか懐かしさみたいなものを意識するんじゃないだろうか。日本を代表するこのコンテストにはあのころとても大きな影響力があり、事実、数多くの才能あるアーティストがここからチャンスをつかんだからだ。
それにぶっちゃけリスナーの立場からしても、「ポプコンで優勝」みたいな冠つきでデビューするアーティストは、その時点でもう間違いなしの保証つきだったのだ。中島みゆきしかり、長渕剛もしかり、谷山浩子もまたしかり。文字どおり、ハズレ皆無って感じだった。
さて、念のためにちょっとばかり説明しておくと、1986年まで32回続いたポプコンは「ヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト」の略称である。優勝者にはメジャー・デビューの資格が与えられ、さらには同じくヤマハ音楽振興会が主催する「世界歌謡祭(懐かしいでしょ)」への出場資格が与えられるということで、当時のミュージシャンにとっての登竜門だったのであった。
1971年からは連動するラジオ番組「コッキーポップ」も始まって大人気になったし('77年からテレビ版も放映された)、まさにメディアの可能性をフルに活用した大盤振る舞い状態。となれば審査のレベルも高くなって当然なのだから、結果的には間違いのないアーティストだけが勝ち残るシステムだったわけである。
ちなみにポプコンが「'69作曲コンクール」という、いかにもおカタい名称でスタートしたのは1969年11月23日のこと。ということは、同じころ新宿西口ではフォークゲリラが真っ盛りだったことになる。そして全盛期の70年代はといえば、フォーク〜ニューミュージックの黄金期。さらには80年代は、MTVなどの普及も手伝って国内ロックがメジャーのフィールドで大きなポピュラリティを獲得した時代だ。というわけで時代の空気をタイムリーに取り込んでいたポプコンは、国内音楽シーンの成長に欠かせないイベントだったのだ。
黛ジュン(第1回グランプリ)、弘田三枝子(第2回グランプリ)、赤い鳥(第2回入賞)、ヒデとロザンナ、モップス(ともに第3回グランプリ)、井上陽水(第4回入賞)、小坂明子('73グランプリ大会グランプリ)、葛城ゆき(第7回グランプリ)、八神純子(第8回優秀曲賞)、因幡晃(第10回優秀曲賞)などなど、気になるアーティストをピックアップしていったら、それだけでこの場が埋まってしまいそうな充実度。いうまでもなく、69年以降の昭和を象徴する存在だったことがわかる。
だからこそ、いま改めて思い起こせば、数々の名曲が昭和の残像とぴったりリンクすると思いますよ。ポプコンをキーワードにして、忘れかけていた多くの名曲を思い出してみよう。
(Text/印南敦史) |