数年前、(おもにR&B系の)女性シンガーのことを評価する際に「ディーヴァ(diva)」という表現がやたらと使われたことがあった。僕もまったく使わなかったわけじゃないから、人ごとみたいにはいえないんだけど(思い出したくない。恥ずかしい)。
「歌姫」と解釈されることが多かったように思うが、本来、それはおもにオペラで主役を張れるだけの力を持った女性歌手のことだ。つまりは「普通の歌い手よりも一歩上を行く才能の持ち主」と言うことを強調したいがために、なんとなくかっこよくも聞こえるその言葉が選ばれたんだと思う。
でもね、いつも感じていた。
ときどき使ってたくせに、それでも感じていた。
単に「歌い手」というだけならまだしも、本当の意味でワンランク上の歌手という意味での「ディーヴァ」もしくは「歌姫」なんて、そうそういるものじゃないって。
それどころか、そのテの言葉で飾り立てられているシンガーに限って発声法が全然だめだったりキーをはずしても気づかなかったり、そんなのばっかりだったのだ。それをはやしたてることにはものすごく抵抗を感じたから、個人的にはある時期からその言葉を使うことを意識的に避けるようになった。
そして同じころ、あのときディーヴァ扱いされていた人の大半が、急速にシーンから消えていった。
世のなか、そんなものですよね。
と書いているのは、悪口がいいたいからではない。そうではなく、振り返ってみれば昭和の女性歌手にこそ、本当の意味でのディーヴァ、もしくは女性歌手と呼べる人がとても多かったのではないかと思えてならないんですよ。
スタンスがアーティスティックであったか否かといえば、そうではない人の方が多かったと思う。いわば商業歌手だ。けれど商業歌手として、レコードやコンサートにお金を出した人に最低限の満足感を与えるだけの実力と責任感を、みんな当然のように備えていた。
ぶっちゃけ当たり前のことではあるんだけど、裏を返せばいつの間にか、当たり前のことができなくても問題にならない時代になってしまっているということだ。で、そんな時代だからこそなおさら、当たり前のことを当たり前のようにこなせていた人たちの歌声が、時代を超えて心に響いてくるんじゃないだろうか。
成果主義がまかりとおる時代のなかで「昭和」が見なおされている社会全体の現状とも結びつく気がするんだけれど、要するにどれだけ状況が変化しようとも、人は人間的なものに惹かれるのかもしれない。
そんなわけでいまふたたび、本当の意味での「歌姫」たちの音楽に耳を傾けてみてはいかがでしょう? 懐かしい歌声がきっと、忘れかけていたなにかを思い出させてくれると思いますぜ。
(Text/印南敦史) |