「赤い鳥」というフォーク・グループは知らなくても「翼をください」という曲は誰もが知っているはずだ。71年に全国的にヒットし、70年代後半からは小学校や中学校で合唱曲として親しまれ、97年のサッカーW杯予選では、日本代表チームの応援歌として話題になった。この「翼をください」でメイン・ボーカルをとっていたのが山本潤子(旧姓・新居潤子)である。赤い鳥時代には「竹田の子守唄」や「忘れていた朝」などの名曲も残し、ハイ・ファイ・セット時代には「卒業写真」や「フィーリング」などのヒットで幅広い世代から支持を受けた。94年からはソロとして活動し、多くの有名ミュージシャンとも共演している。昨年6月にはJ-POPをカバーしたアルバム『SONGS』を発表し、その歌声で多くのファンを魅了し続けている。その山本さんに、最新作のことから、赤い鳥やハイ・ファイ・セット時代のことまで、お話を伺うことができた。
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【『SONGS』について】
J-POPのカバー集『SONGS』を作るきっかけは?
プロデューサーの意向でJ-POPをカバーしようということになったんです。最初は、ソロとしてカバー・アルバムを作るということに、正直気持ちが向いていかないところもあって、何を歌ったらいいか自分でもよくわからなかったし…。選曲に関してはプロデューサーが選んだ30曲くらいの中から、自分で歌えそうな曲を選んだという感じです。
それで、曲を選んで、もちろん原曲の音源もいただいたんですが、原曲は聴かないようにしたんです。カバーって難しいじゃないですか?原曲は聴かないで、譜面をいただいてメロディを覚えて、歌詞をつけて、という方法で覚えました。2ヶ月くらいかかってなんとか曲の感じ、メロディを把握できたという感じで、入り口にたどりつくまでが大変でしたね。曲を覚えてからあとで原曲を聴きました。
男性歌手の曲が多く入っていますが、男のラブソングを女性が歌うことによって、全然違うように聴こえたりするんですが、その辺は意識されましたか?
男性の歌とか女性の歌とか全然意識してなかったですね。男にはなれないわけですから、女の感じ方で歌うしかないですよね。“僕”と歌っても、それは女性という感じで歌ってました。
原曲を知っていると、どうしても比べてしまうんですが、山本さんのバージョンを何度も聴いていると、歌の印象が変ってきますね。カバーは山本さんにとってどういうものですか?
私がカバーを出すときの理想は、こっちがオリジナルだと思ってもらえれば、それは成功かなと思うんです。それは1回聴いただけじゃわからないんだけど、何度も聴いていくうちに、原曲と比べてみてなんだかこっちの方がオリジナルっぽいな、と思ってもらえばすごく嬉しいですね。
中島みゆきさんの「空と君のあいだに」にしても、メロディの美しさが際立って、澄んでますよね。
そういう風にしか歌えないんです(笑)。
コンサートでは『SONGS』の中からどんな曲を歌っていますか?
コンサートで歌っていくうちに、だんだん自分のものになっていくというか、好きになってきましたね。不思議ですね、レコーディング中は、正直すごく辛かったんですが・・・。ライブをやりながら、この曲はすごい素敵だなとか、だんだん好きになってきた、というのはありますね。いつもコンサートで歌っているのは、「サンキュ.」、「Missing」、「空と君のあいだに」、「最後の言い訳」、「恋の予感」、「CROSS
ROAD」とかですね。
フォークからニューミュージック、そしてJ-POPと歌ってこられた山本さんにとって、今のJ-POPの曲ってどう思われますか?
すごく成熟してきたなと思いますね。私たちがやってた頃は、まだ外国の曲の物真似みたいなところがあったというか、西洋の音楽に影響を受けてそれを追っかけるという感じだったんですけど、今は、日本人としてのポップスが確立してきたと思います。そういう段階があったからだとは思いますけどね。
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【『J's』『small circle』について】
『small circle』はオリジナル曲のアルバムですが、日常のことを題材にしたアルバムですよね?
オリジナル・アルバムを作ろうと思った時、まだ自分で何を作っていいのかわからなくて、井川くん(井川恭一氏・山本さんのバックバンドのギタリスト)に相談したら“日常”をやりましょうと言われて、世界がばぁーっと広がったんです。絶対これだなっていう感じで。今まで、そういう、自分に近いことって歌ったことがなかったんですよね。
彼がすごい量の曲をMDに収めてくれたんです。それを聴いて、このイメージで行こうと思って。井川くんからもらったインスピレーションってすごいたくさんありますね。
だからすごく楽しくレコーディングできました。次にオリジナルを作る機会があったら、第2弾も作りたいなと思うくらい。
『J's』はセルフカバー・アルバムですが、以前の『翼をください JUNKO BEST』とはかなりアレンジが違いますね?
もう何枚もセルフカバー・アルバムが出ていてるし、今の山本潤子の音で、ということで作ったんです。ほとんどライブ・バージョンに近いですね。生でやってるのと同じ感じで、バックバンドも“てるてるボーイズ”ですし。「翼をください」は、ちょっとロックっぽいアレンジになってるかな?後半のサビの部分で、コンサート会場に来ているお客さんの歌声を入れたんですが、これが大変だったんです(笑)。アカペラで歌ってもらってる部分をはめ込もうとしたんですけど、その時のテンポを調整したり、質感を揃えるために後でスタッフに歌ってもらったのを合成したりとか・・・。
『SONGS』にも「翼をください」が、また違ったアレンジで入ってますね。
山本潤子=「翼をください」みたいなイメージなんでしょうか…。でも、今回はスペシャルで村井邦彦さんにアレンジしてもらいましょう、ということになって。村井さんはジャズの人ですから、「ジャズっぽいアレンジになっちゃいますよ」と言ったら、こういうアレンジになりました(笑)。村井さんに、「コーラスはどうするんですか」って訊いたら、「潤ちゃん、自分でやりなさい」って(笑)。コーラス・アレンジだけはやらせてもらいました。山崎まさよしさんのコーラスも入ってるんですよ。
「翼をください」は、小学校の教科書にも載っていてずっと歌い継がれているわけですが、ご自分ではどう思いますか?
赤い鳥の時にずっとライブで歌っていて、レコードもかなり売れたんですね。私たちの世代に種が蒔かれたというか、歌の内容も“未来に向かって羽ばたこう”みたいな感じで、子供さんに歌ってもらってもいいような、世代を超えた普遍的なテーマですよね。赤い鳥が解散して3年くらいして教科書に載りはじめたらしいんですけど、ずっと知らなかったんです。ハイ・ファイをはじめて随分たってから知って、びっくりしましたね。「翼をください」の持つ力ですね。すごい力のある歌です。
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【赤い鳥〜ハイ・ファイ・セットについて】
赤い鳥は最初は洋楽志向だったんですか?
両面ありましたね。「竹田の子守唄」のような日本的な部分と、フィフス・ディメンションのような洋楽コーラス・グループ志向の部分と。
最初からプロになろうという意識はあったのですか?
最初はなかったですね、みんな就職も決まってましたし。村井さんに2度ほど口説かれて、やっとその気になったというか・・・。ライト・ミュージック・コンテストでグランプリをいただいて、そのご褒美でヨーロッパ一周というのがあって、何故かロンドンで記念のアルバムを録音したんです。その時はまだアマチュアだったんですが、そのレコーディング中に村井さんがいらして、2度目の説得を受けたんです。「日本の音楽界を変えよう、みんなで」という言葉に動かされて・・・、じゃあ、やろうと。気が大きくなったんですね(笑)。
大村憲司さんや村上“ポンタ”秀一さんが新たに加入されて、バンドとしてカッチリまとまってきますよね?
ライト・ミュージック・コンテストの決勝大会に、大村憲司も出ていて、ああ凄いギタリストだな、とみんなで言ってたんですよ。憲司がくるまでは、バックのミージシャンがジャズ系の人で、ちょっと違うなという感じもあって・・・。どういう経緯があったのか忘れちゃったんですが、一緒にやらないと声をかけたら、やりたいということで。それで憲司を慕ってたポンタも追いかけてきて・・・。一気にロックっぽくなったというか、憲司の色が前面に出るようになりましたね。
ツアーの思い出とかはありますか?
なにしろ、旅回りで東京に月に3日くらいしかいませんでしたから。コンサートが終わって旅館に泊まって、次の日は楽器を持って電車移動で・・・。楽器を持ってるから、会場に入るしかないわけですよ。なので早くから楽屋を開けてもらってみんなでセッションしてましたね。セッションが終わったら、楽屋口でキャッチボールしたり(笑)。常に楽屋で音を出してましたね。
赤い鳥の後期くらいから、ハイ・ファイ・セットの音楽性は固まってきていたのですか?
いえ、全然そうじゃないです。赤い鳥を解散して、とりあえず何をやろうか、自分でもよくわからなかったんですが、大川くんが3人で一緒にやろうよと。やるんだったら楽器を弾かないでコーラスに徹するグループになろう、というイメージだけはあったんです。だから、最初の『卒業写真』というアルバムは暗中模索で作ったんです。『卒業写真』に入っている「フィッシュ・アンド・チップス」(大川茂&山本俊彦・作)という曲をレコーディングした時に、ハイ・ファイ・セットの方向性が見えてきたんですね。
ハイ・ファイ・セットは活動時期がすごく長いですが、途中でジャズ色が濃くなるのは、山本さんがやりたかったことだからですか?
その時はわかりませんが、ただ自分としてはコーラス・グループとして出発したはずなのに、なんか違う方向に行ってる気がしてしょうがなかった。もっとコーラスを極めたいというか、でも極められる楽曲がないというか・・・。それで煮つまってきて、何か新しい方向が見つかるまで休もうということで、1年間活動休止したんです。私と主人(山本俊彦氏)は3ヶ月ニューヨークに行って、何かが見つかるかもしれないということで。その時に、ランバート、ヘンドリックス&ロスの遺志を受け継いだグループのライブを見ることができて、これだっ、こういうコーラスをやりたい、という気持ちが湧き上がってきたんです。それも日本語でやるべきだと思ったんです。それで、いてもたってもいられなくなって、日本に帰って『3
NOTES』というアルバムを作ったんです、無理やり(笑)。みんなには、やめなさいって言われたんです、絶対売れないからって・・・。売れませんでしたけど、すごい実験的というか、プロデューサーの佐藤(允彦)さんも、面白いから絶対やりなさいって言ってくれて。すごく楽しかったです。
その後、CBSソニーに移られて、杉真理さんの曲とかも歌われていますよね?
それは、ジャズっぽいものが売れなかったからなんでしょうね(笑)。ソニーのプロデューサーの須藤さんが手をあげてくださったんですが、最初に一言「私はジャズが嫌いです」って言われて・・・(笑)。もうジャズはできないんだ〜、って思いましたね。でも、ジャズっぽい、ハラハラドキドキするようなアルバムを作らせてください、とは言いましたけど。ポップなんですけど、アバンギャルドな部分もあるし・・・、私の中には、そういう普通じゃないものをやりたいっていうのが、ずっとあったんでしょうね。
杉さんは、すごいメロディ・メーカーだなと思いましたね。曲を聴いてハッピーになれるし、曲の構成も素晴らしいし・・・、譜面は汚なかったですけど(笑)。杉さんの曲は、コーラスっぽいイメージですよね。
ハイ・ファイ・セットの曲を通してユーミンを知った人も多いと思うんですが、ユーミンについては?
ユーミンと出会ったのは、赤い鳥時代なんですね。よく赤い鳥のレコーディングに遊びに来ていたんです。彼女が、かまやつひろしさんのプロデュースで2曲ほど録音するというので聴きにいったこともありますね。あとで村井さんが、こんな曲があるんだけどと言ってカセットで聞かせてくれたのが「卒業写真」だったんです。その時は、曲の印象というよりは、独特な声だなという印象が強かったですね。その曲を、ハイ・ファイ・セットで取り上げて歌うとは思ってもみなかったです。やはり、「卒業写真」がダントツに好きですね。今も素晴らしい曲を書かれていますが、私の中では、荒井由実時代の曲が身体に染み込んでいると思います。
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【ソロになってから】
ソロになろうと思ったきっかけは?
ソロになろうとか全然思ってなかったんです。ハイ・ファイ時代からソロ・アルバムの話はずっとあったんですが、お断りしてたんです。93年くらいかな、ちょっと休業してた時期にまたお話があって、1枚くらい作ってみようかなと。それからソロ活動が始まったわけです。ソロで出来ない部分を、エイプリルでやっている感じですね。ソング・フォー・メモリーズは誘われて、楽しそうだったから参加させていただいたんです。ソング・フォーはカバー曲を歌うというコンセプトで始めたグループなんですね。タイプは違いますけど、どちらもコーラスがメインになってますね。
今後、チャレンジしていきたいことは?
とにかく、技術を高めたいというか、ギターも上手くなりたいし。そうしたら表現ももっと良くなるだろうし。ギターを弾いて歌うようになって10年ちょっとですから、ギターが身体の一部のような感じでステージに立てたらと思いますね。
最後に、歌い続けることにゴールはありますか?何のために歌っているのですか?
ゴールはないでしょうね。歌うことが、自分が今生きていることの証だからです。
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山本潤子を「稀代のボーカリスト」と評したのは小田和正である。赤い鳥がグランプリを獲得した69年のヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで2位だったのがオフコース。ハイ・ファイ・セット時代に、オフコースの「歌を捧げて」をカバーしていたことが思い出される。インタビューの中で中島みゆきさんのカバーについて触れたとき、「そういうふうにしか歌えないんです」と笑った山本さん。「そういうふう」に歌うことがどれだけ大変なことか。それを、聴く人に気付かせないようにして、そっと心の中に感動を残していく。山本さんの歌声がたくさんの人の記憶の中に刻まれ、それが次の世代へと伝えられていく。凄いことです、コレは。じっくりと耳を傾けてみてください。きっと、気持ちが澄んでくるはずです。
(取材&Text/遠藤哲夫)
