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FEATURED ARTIST
沢田知可子
21世紀に伝えたい泣ける曲No.1「会いたい」
今、人々の魂を癒す、沢田知可子の詩(うた) |
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泣くということは心のバランスを保つうえで大事なことかもしれない。ある種、魂の浄化作用ともいえる“泣く”ことを、何気なくやり過ごしている人が多いのではないだろうか?
沢田知可子さんの90年のヒット「会いたい」は、後年、“21世紀に伝えたい泣ける歌”のNo.1に選ばれたほどの超名曲であるが、「会いたい」が持つ悲しさやセンチメンタリズムは、時代と共に、普遍的なラブ・ソングからその意味合いを変えつつあるのではないかと感じたことが、今回、沢田さんにインタビューしたいと思った大きな要因だった。
ご存知の方も多いかもしれないが、「会いたい」は有線放送から火がついて、じわじわとベストセラーとなった曲である。当時のことを伺ってみた。
「1987年のデビューから、「会いたい」が入ったアルバム『I Miss You』をリリースする1990年までの3年間、アルバムを出す毎、そしてシングル・カットをする度に、プロモーションで全国の有線放送所を回りました。リクエストをかける有線嬢とは、同世代だったこともあって、その3年間でいい関係を築くことができたんです。「会いたい」をシングル・カットした直後に、JRA(日本中央競馬会)のキャンペーン・ソングに「Live on the Turf」が起用さたことで、社運をかけてずっと競馬場巡りをやっていて・・・、「会いたい」はノンプロモーションのまま、消えてしまうのかなと思っていたんですよね。でも、有線譲たちの心には「会いたい」が響いたんです。自発的にリクエストの合間にかけてくれたんです。“今の曲なんですか?”という問い合わせがどんどん来るようになって、有線嬢の輪で「会いたい」は全国的に広がっていって、オリコンの44位にチャート・インしました。この曲は私にとって奇跡の曲なんです」
「会いたい」は3年間チャートに入り続け、曲が一人歩きして、本人はひとり置いていかれるような状況だったという。沢田知可子という名前と「会いたい」が一致するのに3年かかったのだ。その「会いたい」と初めて出会った時の印象を聞いてみた。
「ファースト・アルバムから曲を書いていただいていた、沢ちひろさんと財津和夫さんにお願いしたんですけど、曲のコンセプトはしっかりしてました。日本人にとって、“I Love You”や“I Like You”ってわかりやすいですよね。でも、“I Miss You”ってどういうことだろう、身体で感じる究極の“I Miss You”って、恋人の死なんじゃないかって。沢さんの詞を財津さんに渡して…、曲に詞が負けていたので、沢さんは何度も詞を書き直したあげく、マスター吹き込みの直前に詞が上がってきたんです。そこには、沢さんが知るはずもない私の体験、バスケット部のことや先輩のことがが書かれていたんです」
シンクロニシティというか、奇跡的に生まれたこの作品。沢田さん自身、最初はなんて暗い曲なんだろうと思ったそうだが、担当ディレクターだけは、作品がヒットすることを信じて、無心で歌えとアドバイスしたそうだ。3テイクでOKが出た。これ以上歌うと、感情過多になってしまうから…。それが「会いたい」だったのだ。
「今、私にとって「会いたい」は鎮魂歌です。これほど修行という言葉がふさわしい楽曲もないと思います。絶対に歌わないといけない曲でしょ? もう一心同体なんです。そこに背をむけず、一緒に成長し続けると覚悟を決めたときに、自分の価値観が変わりました。
本当に鎮魂歌になったのは、中越地震の時ですね。中越地震の2ヶ月後、復興宣言の中、長岡の特設野外ステージで、3曲ほど歌わせていただいたんです。その時、12月にはあり得ないはずの大粒の雹が降って、その雹が滝の雨にかわったの。もうバケツをひっくり返したような雨。完全に時間が止まったような状況の中で、「会いたい」と「gift」を歌っていて、あぁそうかって気づいたの。この雹と雨は、土地の悲鳴だったんですよね。
その3日後にスマトラ沖地震が起きて、偶然なんですけど、私はそのちょうど1ヶ月前に、日本スリランカ文化アワードの特別ゲストとして、スリランカでライブをさせていただいたんです。そこで、カースト制度で追いやられた人々が、海岸に何キロにもわたって軒を連ねているのを目にしました。その人たちは12月の津波で、根こそぎ持っていかれた。そんな時、もう一回スリランカでチャリティー・コンサートをやらないかって言われたんです。
天災による悲劇において、「会いたい」という曲が必要とされる時代が来てしまった。自分が漠然と“この曲は鎮魂歌になっていくんだな”と思っていたことが、明確になったんです。「会いたい」を聞いて、懐かしいと受け止める人も勿論たくさんいますけど、逆に新鮮だとか、今の時代に身につまされるとか、受け止め方が本当に進化(深化)しているんですよね。そんな歌に出会える歌手もそういないだろうと、自分は今、胸を張って「会いたい」を歌えている状態なんです」
昨年は、バラード・ベストという形で『永遠の詩〜One by one〜』をリリースした。デビュー曲の「恋人と呼ばせて」をはじめ、いくつかの曲をニュー・バージョンで吹き込み直している。
「私の中では完全な、今の私の声で聴いてもらいたいベスト・アルバムです。私のメインディッシュはやはり、常にライブ、コンサートなんですね。今のライブに興味を持ってもらいたい、今の私の声に興味を持ってもらいたい。あの時のあなたの思い出の曲を、今の沢田はこう歌ってるんです、こう表現しているんですよ、というひとつの投げかけですよね。過去を否定するのではなく、今まで歩んできた自分を見て欲しい。常にもぎたての、新鮮な楽曲を届けたい。その一心なんです」
沢田さんの歌を必要とする人が確実に増えている。聴き手の心に伝わる歌。来年でデビュー20周年を迎える沢田知可子は、新たなステージに立ち、“永遠の詩”で哀しみを癒す。
(Text/遠藤哲夫、取材/遠藤哲夫・大畑亜沙子) |
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ダウンロード価格
アルバム \2,000(税込)
トラック 各\200(税込)

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「会いたい」「gift」「美しい国」の根底をつなぐもの。歌う“女親鸞”として、メッセージを伝えていくこと。それが、沢田知可子のひとつの軸とすれば、永遠の少年を歌う彼女もひとつの軸であり、少年への憧れと女としての母性が融合したところに沢田知可子の感性が形成されている。
永瀬清子さんの詩に曲をつけ、女性の観点から見た戦争を“言霊”へと昇華させた「美しい国」、自殺しようとして生死をさまよう友人に“頑張れ”と呼びかける「gift」、“祈り”にも似た「瑠璃色の地球」(松田聖子が歌った・・・)、“永遠”の少年に捧げる「Boy」や「少年時代」では時間が止まる。そして、「幸せになろう」とストリング・ヴァージョンの「会いたい」。今の沢田知可子を抱きしめたくなる、愛おしい歌が詰まっている。ここから、沢田知可子への旅が始まる。 |
■05/21(日) PEACE QUEST 2006 SpringSummer
・場所: 原宿クエストホール
・OPEN/START: 14:00〜
>> 詳しくはこちら
■06/02(金) 第25回横浜開港祭 臨港パーク
・場所: 開港祭スペシャルライブ Part2
・OPEN/START: メインステージ 18:45〜19:30
>> 詳しくはこちら
■06/27(火) 沢田知可子Charity dinner show
・場所: JR浦和駅西口 コルソ7Fホール
・Open: 17:00 Dinner: 17:20〜 Showtime: 19:00〜
お問合せ: (株)グリーン企画社 048-667-3330
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子供の時にヴァイオリンをやっていた。性格が体育系だったので、あまり楽器の練習はしなかったけど、耳コピーで感覚的に弾けてしまったという。少年の変声期前の声に惹きつけられて、フィンガー5のアキラに夢中になる。沢田さんの前世は“カストラート”を目指した男の子だったそうで、少年の声に憧れるのは前世からの影響であるという。その後、ミハイル・エンデの童話『モモ』に感動して、「童話作家」という曲を作っていた、さだまさしに共通するものを感じる。
いじめを経験してうつ病のようになっていた時、音楽療法的な意味で救われたのが、荒井由実の曲を歌っていたハイ・ファイ・セット(山本潤子)で、歌手を目指すきっかけとなったのが、「オリビアを聴きながら」だった。
「中学の時のバスケット部の先輩が、私がアマチュア時代にライブハウスの空き時間で練習していた時、いつも聴きにきてくれた。その先輩が「オリビア〜」だけは絶品だと言ってくれたの。歌手になろうと決めて、先輩に相談したら、俺がファン第1号になるよって。でも、その大好きだった先輩は1週間後に交通事故で死んでしまった」
絶対に歌手になってやると誓った。人の物真似じゃない、自分らしさって何だろうって悩んでいた時に出会ったのが、ジョージ・ベンソンとベット・ミドラー。この二人の歌を聞いて、沢田知可子の“色”を生み出していくことになる。
「悲しい時って、徹底的に悲しい曲を聴くのが音楽療法的にもいいんです。陽の目を見ずにくすぶっていたデビューからの3年間、悔しいことの連続で、その気持ちをぶつける場所もない時に、アルビノーニのこの曲をヘッドフォンで大音量で聴いてました。悲しいメロディーで自分を優しく抱きしめるんです」
美輪明宏さんは、表現者としてリスペクトしてる人。歌は5分間のドラマというか、ひとつの舞台であり、その舞台で完璧なエンターテイナーとして人を惹きつける美輪さんは、女性(?)としても、大切な本質を表現している。
そして、最後の「ロシア民謡」。中学の音楽の時間に、3年間聴き続けたのがロシア民謡だったそうだ。先生が教科書通りの授業をしなかったからなのだが、沢田さんのソングライターとしての資質を形作っているのが、このロシアのマイナーなメロディだというのは非常に興味深い。 |
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