日本でのトップ・セッション・ギタリストであり、アレンジャーやプロデューサーとしても多方面で活躍する佐橋佳幸。アレンジを手がけた藤井フミヤの「True Love」がミリオン・セラーとなった1994年に、エクゼクティブ・プロデューサーに山下達郎を迎えて制作されたのが『TRUST ME』。このソロ・アルバムが、14年の時を経て『TRUST ME - Deluxe Edition』として復刻された。 ギタリストとしてだけでなく、シンガー・ソングライター的な味わい深さも持つこのアルバムを作るに至った経緯や、レコーディングのエピソードなどを、佐橋さんに伺うことができた。
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【『TRUST ME - Deluxe Edition』について】
◇ソロ・アロバムを作ろうと思ったきっかけは?
もともとUGUISSというバンドをやっていて、エピック・ソニーからデビューしたんですが、志なかばにして解散してしまいまして、さあ、これからどうしようかなと思った時に、スタジオ・ミュージシャンの道に進んだんです。特に80年代の中盤から90年代にかけては音楽バブルだったので、いろんなセッションや、アレンジの仕事をしていた時期です。その頃運よく、自分の関わった作品がどんどんヒットして、とても充実した日々だったんですが、もともとシンガー・ソングライター志向だった部分もあって、他のアーティストに提供する曲とは別に、日常的に曲を作ってストックしていたんですね。それをいつか発表したいなと思ってて、90年代に入った頃からまとめはじめて、さあこれを誰のところに持っていこうかと思ったときに、まず頭に浮かんだのが山下達郎さんだったんです。バンド出身で、音楽の裏方っていうか、スタジオ・ミュージシャンだったり、編曲だとかを経験されて、ソロでやっている達郎さんなら感じがわかってもらえるかなと。それでデモテープを持っていったら、「おう、やってみるか」ということで、達郎さんのムーン・レコードからリリースするということで作業が始まったんです。自分の名前、自分の“ノレン”で何かを表現するということを、今ここでやってみないと、という気持ちになったんです。それが結実したものが『TRUST ME』というアルバムです。
◇70年代のアメリカン・ロック、ウェスト・コースト・ロックとかが好きな人にはたまらないアルバムですね。
なんか、自分の血肉になってきたものが思いっきり出てますよね。僕もリリースされてから14年たつので、久しぶりに聴き返してみてつくづく思いますよ。自分の根っこになっているものが、自分の言葉として、自分のフィルターを通して作品になったものだなと、改めて思いました。ちょうど30になったばっかりの頃なんですけど、昔の俺、けっこう頑張ってるかも、という感じですね。
◇山下達郎さんがエグゼクティブ・プロデューサーですが、佐橋さん自身はシュガーベイブとかに影響を受けたのでしょうか?
勿論です。達郎さんにもシュガーベイブ時代があって、ソロのアーティストになって、バック・コーラスや編曲やプロデュースの仕事をやりながら現在に至っているという、バンド・バツイチ(笑)みたいなところにも非常にシンパシーを感じたし・・・。なによりも、僕が中学生の時にシュガーベイブを見てるんですよ。元々、ラジオのトップ40を聴くのが好きな子供だったんで、それから音楽がどんどん好きになって、ギターを弾くようになったんですが、ギターを始めた頃にラジオで「DOWN TOWN」を聴いて「かっこいい、この人たち誰なんだろう」と思ってた時に、たまたま渋谷の道玄坂の楽器店でのライブにシュガーベイブが出るというのを知って見に行ったんです。そこで衝撃を受けて、高校生になったら絶対にバンドやるぞって固く思いましたね。バンド願望が芽生えました(笑)。そういう意味では、非常に影響を受けたというか、14歳の少年にとってはショックでしたね。
◇『TRUST ME』を聴いて驚くのが、バック・ミュージシャンの凄さなんですが、ザ・セクションのメンバーが参加してますね?
ダニー・クーチの役をやりたかったんですね(笑)。当時、自分でデモテープを作っている時に、この曲はどんな風にやろうか考えるわけですね。3曲目の「僕とロージーとみんな」にしても、最初はスパイラル・ステアケースみたいなシャッフル・ビートを考えていたんですけど、いろいろ煮詰めていくうちに、同じシャッフルでも、よりウェスト・コースト風というか、ジャクソン・ブラウンの「ドクター・マイ・アイズ」のような感じでやった方かいいのかなとか、頭の中でイメージしてたんですね。そんなことを考えているうちに、やっぱり本物とやりたいなと思って(笑)。それで、達郎さんに相談したら、「俺は付き合えないけど、お前一人で行ってくるか」って。それで、ギターとマルチのテープを持って行ったんですね。セクションのメンバーとやるんだったら、まずはクレイグ・ダージとコンタクトを取りなさいということだったので、連絡したんです。そうしたら、ちょうどサンフランシスコでリー・スクラーとラス・カンケルがジミー・ウェッブのアルバムの録音に参加していると。彼等は毎週日曜がオフだから、その時に近くのスタジオでやれば録れるじゃないか、とクレイグがまとめてくれて。そんな感じでセッションが実現していくんですね。今やベックのお父さんとしてもお馴染みのデヴィッド・キャンベルにも、ストリングス・アレンジで参加してもらって一緒にセッションできたりとか。
ビル・ペインやカルロス・ヴェガと一緒にやったセッションの方は、当時のジェイムス・テイラーのバンドのメンバーなんですね。だから、70年代とその当時のジェイムス・テイラーのメンバー両方と一緒にやることができたんです。僕は、誰か好きなシンガー・ソングライターを一人挙げろといわれたら、迷わずジェイムス・テイラーなんですが(笑)、そういう風にミュージシャンを決めていったほうが、匂いが同じになっていくということと、自分にとってリスペクトが完結していくんです。とてもミーハーな理由なんですけどね(笑)。
◇アルバムの構成は、インストものが数曲と歌ものなんですが、「フリ−ダズ・フリーダム」とかはホーン・セクションがいい感じで入っていますね。
そうですね、途中でマリアッチっぽくなったりするんですが、当時はメキシコにとても惹かれていた時期で、フリーダ・カーロの伝記を読んだりとかで、フリーダの生き方自体が、ジミ・ヘンドリックスだとか、ジム・モリソンだとか、ジャニス・ジョプリンとかの夭折したミュージシャンとかぶったんですね。激しく生きた女流画家をテーマにしているんですが、それを上手く音楽で表現したいと思っていたときに、リトル・フィートみたいなゴッタ煮の感じとか、いろんなジャンルをミックスしたようなサウンド・スタイルになっていったんです。中南米の楽器を入れてみたり、ホーン・セクションも入れてというような・・・、総じていえば、バーバンク・サウンドですよね(笑)。
僕が最初に達郎さんのところに持っていったデモテープは全部歌ものだったんです。アコースティック・ギターのインスト曲は最後に付け足したんです。当時、アンプラグドが流行っていて、達郎さんがチェット・アトキンスとかレオ・コッケみたいなギター1本で表現できるような曲を入れたほうがいいんじゃない、ということで、アルバム制作の最後の方で作ったんですね。それで、「ソカロ」から「フリ−ダズ・フリーダム」へとつながる冒頭の2曲ができたんです。
◇シンガー・ソングライター的な部分で注目したいのが、「トゥルー・ラヴ」とか「ユア・デイズ」ですね。
一番ああいう感じが自分的にも趣味なんですけど、「ユア・デイズ」はできあがってみると、あまりにジェイムス・テイラーですけどね(笑)。作った時には、ロード・ムービー的な曲にしたかったんです。『スケアクロウ』なんかの、アメリカン・ニューシネマみたいたな感じにね。友情ものの歌にしようと思って、自分の書いた詞を友人に見せて書き直してもらったんですね。これは、詞のコンセプトにあわせて素朴なサウンドがいいだろうと思って、ああいう感じになりました。
「トゥルー・ラヴ」は、藤井フミヤくんの曲と同じタイトルなんですね。このアルバムは93年の春先には完成してて、リリースは94年なんですが、アルバムができた後に、フミヤくんのソロ・デビューのプロデュース依頼があって、曲のタイトルが「トゥルー・ラヴ」だったのでびっくりしたんですけど、それが大ヒットしちゃったもんだから2度びっくり(笑)。僕のほうの「トゥルー・ラヴ」は、ダン・フォーゲルバーグ風というか、シンガー・ソングライターがAORっぽくなり始める頃の匂いがする楽曲だと思いますね。ストリング・アレンジはデヴィッド・キャンベルにお願いしました。デヴィッドは憧れの人だったので、スコアが欲しかったんです(笑)。一生の宝物になってます(笑)。丁度その頃、ベックがデビューしたばっかりの頃で、デヴィッドが「ベックって知ってる?」とか訊ねてきて、息子自慢が始まっちゃいましたけど(笑)。
◇「ダイアリー」ではCSN&Yのようなコーラスが聴けますね?
あれは、超変則チューニングで作った曲ですね。ある雑誌の依頼で、来日していたデヴィッド・クロスビーにインタビューしたことがあるんですよ。その時「デジャ・ヴ」という曲のチューニングをクロスビーから直接教えていただいて、「僕たちの変則チューニングの大元は全部ジョニ・ミッチェルなんだよ」というような話も聞けて、家に帰ってギターで試していてるうちに、面白いチューニングを思いついて、それでできた曲なんです。
◇オーリアンズの「タイム・パッシズ・オン」を入れた理由は?
レコーディングの段取りができてきて、いつから渡米するとかが決まってた矢先に、ジョン・ホール・バンドが来日するとわかって、何しろ僕が一番好きなギタリストがジョン・ホールということで、せっかく来日するんだから一緒にセッションすれば、という話になって。それで、何か曲はあるかということで、ほとんどの曲は渡米してやる曲だったので、じゃあジョンの曲のカバーをやればということになって選んだのが「タイム・パッシズ・オン」だっんですね。それと、「リトル・クライムズ」というスライド・ギターのインストの曲があったので、この2曲に参加してもらおうということで、ギターのパートだけを残したオケを作って待ってたんです。達郎さんの提案で、「タイム・パッシズ・オン」の訳詞をまりやさん(竹内まりや)が書いてくれることになって。さらに達郎さんが、レコーディングの模様を8ミリビデオで撮影していて、今回のデラックス・エディションにはその時の貴重な映像が達郎さん責任編集で収められております(笑)。
◇「タイム・パッシズ・オン」のソロ・ギターは佐橋さんですか?
あれはジョンですね。僕にそっくりでしょ、って僕がジョンに似てるんですけど(笑)。「リトル・クライムズ」は、スライドを僕が弾いて、もう1本をジョンが弾いてるんですけど、あれは完全にライブで、一発勝負みたいな感じでレコーディングしましたね。途中から二人のギター・バトルになっていくという。あの曲は、ライ・クーダー風のインスト曲を作ってもらえないかという仕事の依頼があって、それを今回のアルバム用に作り変えたものです。テックスメックス風でマリンバとかも入ってます。
◇スライド・ギターの音色というかフレーズが、ライ・クーダー風に始まって途中からロウエル・ジョージみたいになってきますね?
イタコみたいになってますね(笑)。僕のスライド・ギターのスタイルはロウエルとジョー・ウォルシュの影響が一番大きいですね。意外とデュアン・オールマンとかサザン・ロック系よりも、こっちのほうが影響が大きい・・・、ストラトキャスターを使っていることもあると思いますけど。このアルバムを出したあと、94年の暮れに一度だけライブをやってるんですけど、このアルバムに参加してくれたヴァレリー・カーターとジョイント・コンサートという形で。その時にヴァレリーのマネージャーとして来ていたのが偶然にもロウエルの未亡人エリザベスだったんです。僕の演奏を聴いて、ロウエルかと思ったって奥様に言われたくらいで、そんなに似てていいのかなって(笑)。
◇今回リマスタリングでリイシューすることになった経緯は?
達郎さんと仕事した後に食事をしている席で、「ここのところ洋楽とかリマスター再発ブームで、僕のムーン・レコードのカタログもきちんとしていかないと。当時のマスタリングよりも今は格段に音が良くなってるから、やるなら今だと思うんだけど、佐橋くんやらない?」という話しになったんです。それは願ってもないということで、達郎さんが準備をしてくださって、今回の発売に至ったわけです。リマスタリングで音が良くなっただけじゃなくて、オマケも付けたいねということで、達郎さんと当時を振り返った対談と、マスターテープからボーナストラックになるようなものを探してきて、「トゥルー・ラヴ」のギター・インストと、面白いから「タイム・パッシズ・オン」のカラオケを入れようということになって。この曲をカラオケで歌いたい人が世界に何人いるんだろうって感じですが(笑)。それに収録風景の撮影ビデオを編集してボーナス映像として入れて、いろいろと盛りだくさんなデラックス・エディションになっています(笑)。この作業をしながら、15、6年くらい前の自分を思い出して、不思議な気分でした。感慨深いものがありましたね、頑張ってたな俺って(笑)。
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【これまでのキャリアについて】
◇この14年くらいの間、佐橋さんの音楽性も広がっていったと思うんですが。
自分が当時リスペクトしていた先輩達と、このアルバムの制作を始めてから、急にご縁ができてきたんです。達郎さんのバンドに参加することもそうですし、佐野元春さんのホーボー・キング・バンドや、坂本龍一さんと仕事をするようになったり、ティン・パン・アレイの再結成だったり、松本隆さんの風街イベントに参加したり、最近だとミカ・バンドの再結成だったり・・・、今の日本の音楽の礎を作ってこられた人たちからのオファーが増えてくるんですね。だから、このアルバムを出したことが、音楽生活がより豊かになっていくきっかけになりましたね。
◇佐橋さんのキャリアの中で、山弦はどういう位置づけにあるのでしょうか?
この『TRUST ME』の制作に入ったときは、実は山弦もやってたんです。オグちゃん(小倉博和)とのギター・デュオですけど。僕がセッションの仕事を始めた80年代半ばくらいは、エレキ・ギターとアコースティック・ギターは別の業種というか、僕みたいにどっちもやるし、マンドリンとか特殊な楽器もやりますみたいなのは、僕が初めてだったらしいんですね。エレキ・ギターのセッションに行って、そこに生ギター専門の人がいたりすると、「君か、最近、アコギもやりますとかって言ってるのは」と嫌味を言われたりした時代ですから(笑)。オグちゃんも同じような感じでその後に出てきて、ギターのダビングとかにいくと、凄くいいリズム・ギターが入ってて、「これ誰ですかっ」て訊くと、小倉っていう人だと。やたらと名前を聞くようになったんですよ。そうしたら、桑田さん(桑田佳祐)のスーパー・チンパンジーというユニットで一緒になって、リハとかで合わせているうちに、二人とも歌ものが好きなので、フュージョンみたいな超絶テクっていうんじゃなくて、もうちょっと歌に近いような面白いインストが出来ないかなと思って、ライ・クーダーとデヴィッド・リンドレーみたいな・・・、そんな感じで始めたのが山弦なんですね。『TRUST ME』の制作もあって、ちょっと中断した時期もあったんですが、90年代の終わりごろからまた本格的にやりだすんです。このバンドはライフワークとして、指が動く限り、ボケるまでやろうかと言ってるんですけど(笑)、あくせくせずにね。
◇北京オリンピックのために作った、BAND FOR “SANKA”について。
公式応援ソングになってるんですが、「笑ってみせてくれ」は、僕が最近手がけ作品のなかでもかなり気に入ってる曲です。小田和正さん、トータス松本さん、僕の3人で作った曲なんですけど、楽曲が素晴らしい。その素晴らしさをより伝えるためにカップリングにデモ・バージョンまで入れたくらいなので、是非お楽しみいただければと思います。
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自らが影響を受けたジェイムス・テイラーのバックを務めたザ・セクションのメンバーや、ジョン・ホールといったミュージシャンの話になると、やはりとても嬉しそうに話をする。好きなギタリストだったり、影響を受けた音楽へのオマージュ的な部分もある『TRUST ME』だが、佐橋佳幸の表現力は“歌”の持つ繊細さや力強さを見事に伝えている。こうしたシンガー/ソングライターとしての力量が後のプロデューサーとしての活躍にもつながったのだと思う。8月5日には、『TRUST ME〜Deluxe Edition』発売記念トーク&ミニ・ライブがTOKYO FM HALLで開かれた。実は始めてのソロ・ライブとなるそうだが、最終的は総勢14人にも及ぶフル・バンドで作り上げたライブが素晴らしいものであったことを付け加えておこう。
(取材&Text/遠藤哲夫)
