松崎しげる、御年56歳。歌手生活35周年を迎え、その名も『My Favorite Songs』と題した記念作をリリースしたばかりだ。そのキャリア、多大な影響を与えた名曲のカバー含む選曲とくれば、何か“落ち着いた”作品を想像する。しかし、そんな器に収まることは、この男には似合わない。驚くほどの愛と情熱が溢れる、最新型・松崎しげるを見せているのだ。
これまでの道程、そして未来への意思を、彼に聞いた。その言葉、歌は、人生の折り返しを迎えたあなたに、心地よい刺激を与えることだろう。
「振り返ることが、あんまり好きな性格じゃないんで。野球で言うと、ストレート一本でやってきたような。そんな感じだね。最近では音楽配信なんて始まって、自分の知らない所で『愛のメモリー』が大ヒットしている。この結果は嬉しいよね」
重々しい言葉でも期待すれば、すっかり肩すかしだろう。さらに、この様にも。
「35周年といってもね、ホントに『昨日が今日に』くらいにしか感じていないし。ただ、こういった時だけ、ふっと振り返ってみて。30周年の時から、スタッフと飲みながら『何やりたい?』って話すようになってね。それで、自分にとってチェコ・フィルハーモニー管弦楽団は夢の存在だったので。大学(註:日本大学・芸術学部)で学んだことや、小さい頃から音楽好きの両親の影響もあってね。自然と、音楽が“鳴っている”家庭に育ったんですよ。モボとモガの両親が、野球をやっていた自分を音楽に導いてくれた。戦後のベビーブームの昭和24(1949)年生まれだから、何にもないガチャガチャの時代で。でも、唯一、音楽が家にはあったんだ」
彼の言葉にあるように、本作は憧れだった世界的なオーケストラ(映画『もののけ姫』『ハウルの動く城』の交響組曲も手がけた)との共演作であり、また、自身が過ごしてきた“ミュージック・シーン”が素直に反映されている。
「(聴いてきた音楽は)まったくジャンルでは分けてなかったですね。両親がクラシック聴いたり、タンゴで踊ってたりしてるのが、自然と耳に入ってて。ボーカルものも結構あったけど、演奏物がやっぱり多かったかな。初めて、両親の聴いてきた音楽から“自己主張”したのは中学2年のときだね。僕がビートルズを買ってきたときには両親は、ちょっと怪訝な顔をしてたね(笑)。その好みが、ちょっと合わなかったようで」
その後、日本にもGSブームが訪れ、必然の流れかバンドを結成。コンテスト入賞を経て、事務所に所属し「ミルク」というグループ名で活動を行う。ちなみに、松崎少年たちをスカウトしグループ名の名付け親となったのは、今の宇崎竜童氏であった。
「だんだんジャズ喫茶が下火になって、米軍キャンプでもライブを始めて。それでキャンプに行くとね、いい声のグループが歌ってるのよ。誰?って聞いたら『プラターズだよ』って言うんだ。それから『声がいいオバさんがいるな』と思ったら、ブレンダ・リーだったり。エーっ!!となるよね。ベトナム戦争の時代だから、軍用機で慰問に来てたんだ。色んなカルチャー・ショックを感じたよね。あと、音楽好きの軍人さんってたくさんいるから『オマエ、今度はコレ歌えよ』『いまアメリカじゃコレが流行ってるんだよ』なんて言ってくる。そこでもらったレコードが、ライチャス・ブラザーズの『Unchained Melody』だった。これが、ソロ歌手への転機だったね」
そして、GSシーンの低迷も迎え、ミルクのメンバーはそれぞれの道へ。'70年、21歳のときに松崎しげるはソロ歌手としてデビューした。
彼の代名詞といえる「愛のメモリー」のリリースは'77年。ソロデビューからは、少なくない時間を要していた。
「でも、苦労したとかしないとか、全然そんな話ではなくて。色んなドラマを持ってきてくれる曲なんですよ。元々(スペインの)マジョルカ音楽祭に出場するために作った曲で。情熱の国だから、“情熱的なラブソング”というコンセプトでね。それまで日本は、四畳半フォークとかインドアなラブソングばかりだったけど、これは日本初のアウトドアなラブソングだった。イタリア、スペインという国に匹敵する、太陽に向かって『愛してる!』と叫んでいるようなね。歌謡祭では第2位に入賞したのに、でも、日本じゃ『こんな難しい曲ダメだ』とメーカーからはダメ出しを食らってて。タイアップ(註:グリコ・アーモンドチョコレートのCM)が付いたからリリースしようってなったんだけど(笑)」
そして、今の彼につながる大ヒットとなったのは、ご存知のとおり。本作でも冒頭を飾っている。
「曲自体が進化しているね。自分が歳を経てきても追いつかないくらい。今回のクラシックにも凄い対応している。松崎しげるという名を世に出してくれたし、色んな夢を叶えてくれたのがこの曲ですね。僕が野球で行けなかった甲子園にも、センバツの行進曲として出場してくれたんだからね」
「今こうやって35年間やってこれたのは、真剣に“音楽でメシを食っていこう”と燃えていたバンド仲間や、夢を叶えてくれた若いスタッフたちとの出会いの積み重ねだろうね。そして、これまでに全然悔いが残っていない。常に全力投球だったからだろうね。まったく疲れを知らないというか」
次へ、次へ、とだけ考える― 松崎しげるのスゴいところは、前を向き続けているところ。この『My Favorite Songs』も、懐古的どころか、オーケストラと“一対一”で組み合った、まったく挑戦的な作品なのだ。
「今回いちばんの夢が叶ったけれど、さらに、ラブソング、クラシック、ジャズ、南米音楽、ロックと、色んな音楽にチャレンジし続けて、いつか自分だけのBOXセットを作れたらいいね。ジャンルを選ばないことの証明だし、それから、様々な影響を与えてくれた人、その人たちに近づきたい、努力の証明なんです。自分はできる限り夢を持っていたい」
強いて言えば、ジャンル=松崎しげる、だろうか。このバイタリティ、そしてエナジー。最強、だ。
「ショウビジネスをやっていると、面白いことにトランス状態になる。その時に『なんて素晴らしいものだろう!』と感じながらステージを降りると、いつも浮かぶアメリカの名言がある。『ショウほど素敵な商売はない』と。ホンットそう思うね。そう思い続ける限りは、死ぬまで歌ってられると思うね。松崎、いま56歳…70までは確実に歌ってるね。50周年?軽い軽い(笑)」(Text/hr)
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