ブルースを訳して「憂歌」。4人組の憂歌団は、70年代前半の関西ブルース・シーンの中で、独自のアコースティック・スタイルで注目を浴び、75年10月にシングル「おそうじオバチャン」で衝撃的なデビューを飾った。1週間で放送禁止になってしまったこの曲のインパクトもさるものながら、ボーカル木村秀勝(後に充揮に改名)の圧倒的なダミ声が醸す、日本人ならではのブルース・フィーリングに酔わされた。その後、20数年にわたりオリジナル・メンバーで活動を続けた憂歌団は98年に活動休止した。ソロとなって、ますます表現に深みを増し、デビュー30周年を経てさらにワン&オンリーな歌い手として存在をアピールし続ける木村充揮さんにお話を伺うことができた。
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■3/28の新宿Pit Innライブ
◇3人(梅津和時、三宅伸治、木村充揮)でやるのはいかがですか?
梅津さんも三宅伸ちゃんも、何回もやったことあるし、楽しいですよ、いいメンバーやから。あとは自分は自分やからね、そんな感じですわ。リハーサルは基本的にないですわ(笑)。憂歌団の曲だからとかは何も意識してないですよ、お互い知ってるやつをできたらええなみたいな感じで。無理に新しいものをやろうということでもないし、新しいのをやろ思ったらリハーサルせなあかんし(笑)。リハーサルが嫌いとかそういうんじゃないけど、もっと楽に楽しめるほうがええんちゃうかなと。
◇第一部で「おそうじオバチャン」をやっちゃいましたね?
全然そんなこと思うてなかったんですけどね、なんとなくそんときの雰囲気で、自分の気ままな感じでやろうと・・・。ほんまはちょっと、春やし、ゆったりしたやつやろかな思ったんやけど、ワーっと来たから、まあええかなと(笑)。
◇昨日はちょっと飲みが足らなかったような気もするんですが・・・。
うう〜ん、でも酒の量とか、そういうんでもないんですわ。ちょっとお酒があって、雰囲気、気持ちがリラックスして、楽しくゆうかね。自分自身もそうやし、見てる人もゆったりして見てもらうのが一番ええと思うけど。
◇ライブでの曲の並びだと、必ずバラードが間に入ってきますよね?
僕は多いんですよ、ミディアムとかスローとか。アップばっかりだとしんどいからね(笑)。でも、バラードばっかり歌うのもね、なんか、やっぱり変化つけたいですやんか。全部に気持ち込めすぎるいうのもしんどいですよ。ほんまに、全部集中して聞かなあかんとか、そんなんじゃなくて、力抜いて楽しんで聞いてもらったら一番ええなと思うから(笑)。
◇昨日のライブでは、「シカゴ・バウンド」をやって、その後に「出稼ぎブルース」をやって、あの流れがすごくいいなと思いました。
でもね、音楽もいろいろありますやんか。ブルースやジャズやシャンソンや、向こうの音楽が・・・。いろいろある中で自分ら、結局、演歌とか民謡とか童謡いうのがね・・・、心にはいってくるいうか。へましたら、向こうの音楽とか、リズムとかメロディばっかり真似して、言葉が全然入ってけえへん人多いから(笑)。
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■近藤房之助さんとのデュエット・アルバム『男唄』について
◇『男唄』はカバー集ですが、前にもカバー・アルバムはありましたね?
憂歌団の時に『知ってるかい!?』というやつと、ソロになって『HAYARIUTA/流行歌』いうやつと、これで3枚目になるんですかね。曲はスタッフとかマネージャーといろいろ言いながら決めてるんで、僕もちょこっと言った曲もあるし。あんま知らんかった曲も1曲2曲ありましたね。
◇クレイジー・キャッツの曲が入ってますが、昨日のライブでも「ホンダラ行進曲」とかやってましたね?
クレイジー・キャッツいうか、あの時代って一番楽しいですやんか、音楽的にも、アレンジも、歌詞も。馬鹿にしてるようであったかいし。ホットな感じで楽しい、なんかええですやんか。今は、楽しむよりも目先のことだけで、そんな音楽多いですもん。いうてる前に自分もそうなってるかもしれんけど(笑)。すごいですわ、クレイジー・キャッツとかね、あの時代の人は。もっと楽しく、踊ることから笑うことから、いっぱいあったから。
◇近藤さんはブレイクダウンの頃から知ってたんですか?
もう知ってましたね。一緒にセッションするとか、そういうことはめったになかったですけど・・・。なんか、ゴリラみたいな兄ちゃんやなと。ホンマモンいうかね、何がにせものってのもないんやけど、すごいなと思ってましたよ、歌自体も好きだったし。すごいなっていうのは、やっぱ「気」ですわ。好きなことに「気」を入れてやってく、ゆうか。それが匂いとかパワーとかになってね。
◇全国をツアーで回ってどうでしたか?
二人でやることは、ある意味で楽なとこもあるし。でも、ライブでの気持ちいうのがものすごくあるから、合わせてばっかりだと自分がなかなか出にくいし、だから変に遠慮じゃなくて、自分を出すっていうのがね。僕は楽なポジションなんですよ、コードだけ弾いてればいいから。フーちゃんはオブリとかいろいろ弾かなあかんから、大変なんですわ(笑)。
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■ソロ・アルバムについて
◇『小さい花』は30年の区切りをつけて新たなスタートを切ったアルバムですか?
新たなスタートいうか、全部旬でしょう、やっぱり。その時の旬を出した思うたら、もう、その旬とは離れたとこにおるかもわからへん(笑)。あちゃこちゃやりすぎて、もっと絞りやいう人もおるかもしれへんけど。でも僕は好きですよ、なにやっても自分やからね。ポっと音聴いて、その中で自分がなんとなく気持ちよくできることって感じますやん。
『小さな花』では、三宅伸ちゃんと一緒に曲を作って、ものすごい力をもろたんね。感謝してますわ。
◇「ケサラ〜CHE SARA〜」もいい曲ですね。
ホンヨンウン(洪栄雄)ていう友達が死によったんですわ。僕よりちょっと若いんだけど、そいつも歌をうとうてて、曲のなかに「海を見てると、君のことを思い出す」っていうフレーズがあったんです。見送るときに友達がアカペラで歌って、そのワンフレーズがすごい頭に残った。そのままずっと残ってたものが勝手に自分のなかに流れてきて「ケサラ」になったんですよ。なんかね、「ケサラ」とか何もなかったんやけど・・・、勝手にね。
◇『30th Party』は憂歌団〜ソロ時代のセルフ・カバーということですが、木村さんにとって思い入れのある曲を選んだということですか?
もちろん思い入れはあって・・・、まあ、いろんな曲があるんですけどね。なんであの曲入ってないの、とかいったらきりがないっていうか。そんななかで、とりあえずあいこ選んだというか。
◇「あたしの彼氏」「ボクサー」は、昨日歌ってましたね。
割と最近、よく「ボクサー」は歌ってますね・・・。でも、「あたしの彼氏」のほうが、歌ってる回数はとんでもなく多いと思うんですわ。なんかね楽なんですよ。女の歌詞やけど、なんとなくフワーとしてる、こういうのがなんかええなと。無理やりノセないかんより、身体が勝手に動くみたいな。音楽って基本的にそうなんやけどね。
◇30年歌い続けてきたことに関して。
最初の頃いうんか、1枚目の時にええ曲と出合ってるいうのがラッキーったらラッキーだけどな。今も最初の曲が全然抵抗なく歌えるというのは。でも、それだけじゃないからね。いろんな出会いもあるしね、そんな感じやね。でも、曲はいろんな曲があるから、あいつの曲ばっかり歌うてると、他の奴が怒るんちゃうか、みたいなこと言われるけど、わいの勝手や(笑)。
◇はじめてのソロ・アルバム『ポー』を作った時の印象は?
はじめていうのは印象強いですよ。ずっとやりたい曲があったけど、バンドではなかなかやろうと言えへん。そんなことがあったりとか、違うことがやりたいとか、ずっと溜まってるもんがあって、それができた。僕は楽しかったんですよ。でも憂歌団のベースの奴が、「お前、一緒やんけ。ソロやる意味ないやないか」。自分の中ではそんなことはないのやけど、お前そんなこと言うけど、時間がたってから聴いてみて、いうぐらいの感じですわ(笑)。人の思い方っていろいろあるからね。
◇『俺らのハウス』について
3枚目のとき、丁度阪神大震災があった時ですわ、そんな頃に「俺らのハウス」みたいなうた歌うてね。「天井もなければ壁もない」って(笑)。でも自分の思いというのは、いろんなこと書いた。案外、自分の身近なことって、出すのが恥ずかしいとか、人にはありますやんか。やっと「俺らのハウス」とか「天王寺」とか近所の歌を、ちょっとだけ書き出したみたいな、自分の中でね。ほんまは、そういうことが一番大事なんやけどね。今までの中で一番自作の曲が多いと思いますわ(笑)。ていうても半分くらいやけど、全部自分の曲を自分で作らなあかんとか、そんな気持ちもあれへんから(笑)。
時間かけて曲作ってもええものはできません(笑)。できるときは頭をパーっと流れますねん、でもそれがいつ流れるかはようわからんから。フーっと流れるときがいいんですわ、なんかね。考えたものって、ひとが聴いたら、その考えたものを感じますねん、不思議に。考えることよりも、もっとゆっくり楽しんでくださいっていうことが大事やからね。
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■憂歌団時代のこと
◇デビューにあたって日本語で歌うということは?
デビュー前は、英語のカバー曲がほとんどやってん。その時に尾関の兄ちゃんとの出会いとかあって、あとディレクターの中西さんから、できるだけ日本語でやってみいへんか、とか言われて、そんなことが大きいと思うんですよ。僕は英語がわからへんし・・・、カバーやっとったのが、アルバム出して日本語の歌が売れてきて、しらぬまに日本語の歌が全部になったという・・・。だんだんですよ。ものすごい意識してやってるとか、そういうんじゃなく、なんか日本語になりましたわ。
◇木村さんとしては日本語で歌った方が感情がこめやすかったんですか?
英語はわからへんから(笑)・・・、相手もね。だから逆に気持ち入れやすいことはありますねん、イメージでね。分からん言葉で歌うことは、スキャットと同じですわ。訳のわからん英語歌っとんのやけど、自分のなかで勝手にイメージで、自分の解釈があるんですわ。でたらめ英語で歌っとんのやけど、それを聴いてまた真似する奴がおるんですわ(笑)。そうやって方言みたいのが出てくんのかね(笑)。結局、歌うてたら自分のイメージが出てくるんですわ、勝手にね。でも意味も調べようともせんかったけど・・・、別に意味調べなあかんこともないやろって(笑)。・・・いうてるまに、自然と日本語の歌との出会いがあって、今はわざわざ英語の歌なんか覚える気もないし(笑)。でも、たまに歌える曲は歌うんですよ、全然違う雰囲気があるから。英語って言葉のニュアンスが全然ちゃうから・・・。
◇シカゴでの公演について
楽しかったですよ。全然知らないとこ行って、できるんかなと思ったけど、できることしかでけんのやけど、一生懸命やった。でも、出したぶん、ちゃんと反応あるんですわ。考えたらだめなんですわ。気持ちをスッと出すことが、相手も感じることやから。音楽なんか、フランス語や英語、言葉を越えて感じますやんか、一緒ですわ。言葉の意味じゃなくて感じるものがあるから。それが大事で、むこうにずっとおったら、ちょっと言葉も覚えるかもしれんけど、それを越えたもっと大事なことがあるから。それが音楽のすごいええとこで、それって考えることよりも、感性のものやから。なんかね、たいへんなことがあるときでも、ちょっとした音楽で人がなごんだり、元気になるんだったら、ええなあ。音楽でおなかがふくらむんじゃないけど、なんかの力があるんやろな。
◇ショーボート時代はどんな時代でしたか?
う〜ん、別に何も考えてません。ただ、みんなでやっとって。でも1枚目の時が、無でやっとったから、一番楽しかったのかな。段々段々、へんな欲とか、いろんなことが出てきて、そんな気がしますけどね。1枚目やって、『セカンド・ハンド』があって、生聞ライブがあって、『夢・憂歌』は違うところで録音したからおもろかったけどね。スタジオ・アルバムそれぞれに1曲、2曲今でも印象が強いのがあるかな・・・、いう感じかな。
◇フォーライフに移ってどうでしたか?
最初の頃は2年に3枚とかいうペースでアルバム出してたんちゃうかな。ライブも一番多くて(年に)150本くらいやってたんかな・・・、レコーディングしながら、そんだけライブやってたとすると、けっこう忙しかったんかな? それもよう覚えてませんわ(笑)、ただパチンコ行きたいなだけで(笑)。
◇「胸が痛い」はフォーライフ時代の曲ですよね?
最初はライブでやってなかったんですわ、なんとなく。小倉かどっかのライブハウスで、お客さんの女の子が「胸が痛い」をやって欲しい、やって欲しいって。それで、ちょっとやってみたら、なかなかええな思うて・・・。それからやるようになったんですわ。その女の子の一声がきっかけでね。アコースティック・スタイルの方が断然ええんですわ。
「胸が痛い」は毎回じゃないけど、割と歌うほうですね。僕はバラードの曲が多いし・・・、知ってる曲を聴けるのって人はうれしいんですわ、でもそればっかりじゃなくて、まずは僕の歌いたい曲を歌うっていうのがあって、別に「胸が痛い」が歌いたくないんじゃなくて、バラードを気持ち込めて歌うとき、自分のタイミングもあるから。バラードばっかりだと、やってるほうもしんどいけど聴いてるほうもしんどいですよ。「胸が痛い」を歌うてもたら、そのあと他のバラードをやりにくいていうのもあるし・・・。
◇「君といつまでも」は今でも歌いますか?
たまに歌います。自分でいうのもなんですが、「君といつまでも」は僕が世界一うまいんちゃうかな思います(笑)。でも、その世界一が、昔はもっと歌えてたな思うんです。宇宙の果てまで届くぐらいに歌うてた気持ちがあんねんけど。いい歌やね、そのままグーっといってそのまま帰ってきいへんちゃうか、くらいの歌いかたしとったから(笑)。それもあくまで自分の気持ちなんやけどね。ひとの曲やけど、自分の表現がピっと合うときがあって、それがずっと合うんやなくて、また動いていくんですわ。今の自分で歌わんといかんから。
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■次はどういうアルバムを作りたいですか?
スカスカのアルバム作りたいわ。もっと生で、もっと隙間のある、もっとフリーなやつ作りたいですね。鍋たたいて歌うてるみたいな(笑)。そんな雰囲気のやつがね。イメージでいったら、もっと出てきまんねんけどな。スカスカのやつは面白いな、今は音が多すぎるから。生ギター一本なんやけど、また違うスタイルがあるんちゃうかな?
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■自分で歌っていて、歌は上手くなってると思いますか?
いやいや、とんでもないすわ。歌は上手くなるよりは、気持ちをどこまで持てるかだから。素人で上手い人、ものすごい人いっぱいいてますわ。なんで僕がお金もろうてやってんのかな〜、昔からやっぱ顔がええんかな〜、とかいろいろ思いまんねん(笑)。でも、なんかがあってね。中学のときに、歌が上手い、エンターテイナーやとか言われて、人を楽しませることがうまいって・・・。でも、歌自体はもっとすごい人がおるから・・・。声で歌うてるんじゃなくて、どんだけ自分が気持ちよく歌えるかだから。そんときに相手も感じてくれるから。ただそれだけのことなんだけど、それがなかなかなんですわ(笑)。
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ファンの方ならご存知だと思うが、ステージでのハチャメチャな感じ(勿論、しっとりもさせるが・・・)と比べて、普段の木村さんはすごく真面目な方である。パチンコの話になると人が変るようだが、音楽については、時に熱く、そして気さくな感じで質問に答えていただいた。憂歌団時代の曲を聴くと、昔はよくわからなかった男と女のすれ違いや、寂しさみたいなのが、今になって沁みてくることがある。ソロとしての木村充揮は、それらの曲にさらに磨きをかけ、これでもか、というくらい全身全霊、魂を込めて歌う。身体に震えが走るのがわかる。こんなに凄い歌い手に出会えて“幸せ”だと思える瞬間だ。是非、ライブでこの“天使のダミ声”を味わっていただきたい。
(取材&Text/遠藤哲夫)
