“下北沢のジャニス・ジョプリン”の異名を持ち、その強烈な個性で一度耳にしたら決して忘れることのできない名ボーカリスト、金子マリ。Charと結成した伝説のロック・バンド、スモーキー・メディスンに始まり、時代の先端をいったファンク・ロック・バンド金子マリ&バックス・バニー、いぶし銀のVoice&Rhythmなどで圧倒的な存在感を放ってきた。今年に入り、ソロ5作目となる『金子な理由』のリリースや、スモーキー・メディスン再結成が大きな話題を呼んでいる金子マリさんにお話をうかがうことができた。
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【新作『金子な理由』について】
◇4月の“Rock Legend”(JCBホール)ではスモーキー・メディスンとしてワンマン・コンサートを行いましたが、どういう感じでしたか?
スモーキー・メディスンをやってた時っていうのは、内田裕也さんが主催してた野音のコンサートとか、大晦日のコンサートとかしか仕事がない頃で、チャーが高校2年、私が高校3年だったんですけど、いつも先輩達がやる前に出て3曲か4曲くらいしかやれないんですよ。だから、あの日がデビューなの。スモーキー・メディスン一本でやったことってなかったんですよ(笑)。だって10回もライブをやらないうちに解散したと思いますから。10回やるのにも1年半くらいかかってるんで、やれる場所がないから。だから、7曲くらいしか持ち曲がないのに、出来るのかなって(笑)。すごい練習して、キーは18歳の時のままで、なんてね、背筋がつっちゃいましたから(笑)。ただ、一番最初に組んだグループなので、やはり初心を思い出すというか、いいコンサートでした。
◇新作の『金子な理由』はカバー曲を中心にしたアルバムですが、選曲やアルバムのコンセプトはどういうところから生まれてきたのですか?
この前にエイベックスから出したアルバムは、矢野顕子さんとか佐野元春さんとか高野寛さんとか・・・、私はアッコちゃんやZAZEN BOYSの向井くんとかの他は、お目にかかったことのない人たちだったんですけど、曲を書き下ろしていただいて出したアルバムだったんです。今回は初めてインディペンデントから出したんですけど、バン・バン・バザールっていうバンドがいて、彼等が会社をやっていて、アルバムを作りませんかと。マリさんが実際にこれまでやってきたことと関係のある曲をカバーで入れたらどうでしょう、ということで作ったんです。
◇GSや70年代初期のロックとかも入ってますが、曲はどういった基準で選んだのでしょうか?
私はかまやつひろしさんを尊敬していて、私が子供の頃に一番影響を受けたのも、かまやつさんが作ったスパイダースの曲だったりするので・・・。かまやつさんは外せないなと。私が高校生くらいの時までの、きれいだった頃の六本木や飯倉の感じがするんです。ウォッカ・コリンズもかまやつさんのプロデュースですね。「トンネル天国」は何故入れたかというと、ダイナマイツの瀬川さんは、今も音楽をきちんとやってらして、各地でグループサウンズ大会みたいなことをやりますよね、瀬川さんは今もバンドで出ているんです、俺は今でもやってるぞと。すごくいいアルバム(トラベリン・オーシャン・ブルーバーズ『95°Spirits』)が出来たんですよ、今度。私も時間が合う時は、コーラスをやりにいってるんですけど。唯一、頼りになる先輩です(笑)、ミュージシャン仲間で。
◇山口冨士夫さんについて何か?
「トンネル天国」は冨士夫さんも歌ってるんですけど、どっちかっていうと村八分とかね・・・、最近は具合が悪そうなんで、なるべく近づかないようにしてます(笑)。でも、RCサクセションのコンサートの時に一緒にやったことがあるんですけど、ロックンロールの曲をやった時、素晴らしいギターの一発があったんですよ。「ああ、これなんだね」って驚いたことがありましたね。それまでは、よくわからなかったんです。ロックンロールのギターの流れみたいなものがね。それを教えてくれたのが冨士夫さんですね。
◇松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」を取り上げているのが意外だったんですが。
松田さんとは、ソニーで一緒で。よくトイレで会ったんです(笑)。パラシュートみたいなスカートはいてて(笑)、「おはようございます」とか・・・。そんなに親しい関係ではないんですが、誰もが知ってるこの曲をね、渋谷毅さんのピアノだけでやるというのが面白いかなと思って。渋谷さんとしか歌わないようにしてるんですけど。案外、渋谷さんも気に入ってくれて、嬉しかったです。
あと、「Lu-La-Lu」は、私はヴォイス&リズムというバンドをやってて、ソー・バッド・レビューでボーカルをやってた砂川正和さんが相方で歌ってたんですけど、彼が死んでしまって、もう誰も歌わなくなってしまった曲なんです。石田長生さんが作った曲で、‘ムードは今ピンク色’とかいう歌詞が出てくるので、すごく歌うのに苦労したんですね。でも、こんな風にやったらよかったんじゃないかな、という感じでまたやってみたんです。
「Today」という曲はね、私は19歳の時に、亀渕友香さん、大空はるみ(TAN TAN)さんと3人でコーラス・グループを作っていたんです。当時、キティが出来たばっかりの時で、下田逸郎さんと安井かずみさんと高中正義さんがミュージカル仕立てのアルバムを作ることになって、コーラス・ガールを探してたんです。その時に、私達に決めてもらって。それが縁で、コーラスの仕事はものすごいたくさんやったんです。大空さんは、10年くらい前に51歳で亡くなってるんですが、素敵な人で、いろんなことをたくさん教えてもらった大先輩です。この曲は、安井かずみさんの詞で、当時の東京アンダーグラウンド的な雰囲気がよく出ている曲です。これも誰も歌わなくなってしまった曲なので入れたいなと。
◇上田正樹さんの「悲しい色やね」はどういうきっかけで選んだんですか?
上田さんが、有山じゅんじさんとまたやり始めたんですね。その時に、もう「悲しい色やね」を歌うのはヤダとかおっしゃってるのを聞いて。ヒット曲って何回も歌ってるから飽き飽きしてくることもありますよね、逆にそういう曲を取り上げてみるのもいいかなと思って。有山さんのギターもすごいですよ、血だらけになって弾いてましたから(笑)・・・、嘘です。東京と大阪とか京都が、全然つながりがない時から、有山さんが呼んでくれたりして、つながりが始まったっていう、先駆けみたいな人ですから。『金子な理由』は、有山さんがすごく関係しているので、一緒にやりたかったんです。ギター一本で毎月20日も歌いに行ってるとか、すごく尊敬してます。
◇「悲しい色やね」も「SWEET MEMORIES」も、それぞれギターとピアノだけで歌われてますが、お互いの絡み方がすごいですね。
「SWEET MEMORIES」は、あれは、歌だけ録り直すということが出来ないピアノなので、同録です。2回くらい録ったかな。私は別に歌が上手い人間ではないんで(笑)、ただ人の心に届くような歌を歌いたいなといつも思ってる。若い頃には出なかった低音が出るようになったんですよ。声は生きているので、変化しますから。30年くらい歌ってると、高音とか低音とか、オクターブな感じが分からなくなってくるみたいですね。どっちでもいけるぞって。オクターブで歌っていても、抜いて歌えるっていうか、技術的なことも楽しめるようになりましたね。
◇「風を追いかけて」や「風に立つ」といったセルフ・カバーも収録されていますが、「夕焼けのバイク」も凄く印象深い曲ですね。
これは、今回のアルバムで目玉の曲の一つだと思ってるんです。岡本おさみさん作詞、森園くんの作曲で、あと何曲も未発表があるんですけど、なかなか発表する機会がないらしいので、私のアルバムで先に紹介させてもらいました。他にも「太った鳩」とか「ミッドナイト・ニュース」とかいい曲があるんですけどね。岡本おさみさんの詞が素晴らしくて。この曲は10年くらい前の曲なので、一部歌詞を書き直してるんです。中国情勢の変化とかあったりして。
小滝みつるくんと森園くんの二人がアレンジしながら作っていて、小滝くんのプログラミングっていうの、シンセの入れ方とかセンスがありますよね。森園くんは、どうしても最後にスライドを入れたがって、スタジオのドアの取っ手をスライドバーがわりにしてギュウギュウやってました(笑)。
◇「Baby's Universe」は内田有紀さんに提供した曲ですね?
これはチャーと作った曲で、自分で歌ってみてわかったんですけど、難しい曲ですね(笑)。当時流行ってた、スティーヴィー・サラスみたいな感じのギターが入る曲で、私がホーキングの「ホーキング、宇宙を語る」を読んで感動して作った曲です。内田さんもラップをやってるんですけど、大変だったんです(笑)。
◇この前の『B-ethics』に入ってる「CITY」という曲は、よくライブでやってらっしゃいますね。
毎回やってますね。あれは、ZAZEN BOYSの向井くんの曲で、よく同じ店で飲んでるんですけど(笑)。向井くんはなかなか面白い人でね、講釈師みたいな・・・。あのアルバムには、息子二人とやった曲も入っていて、ドラムとベースなので、やりやすいんです。最近、ライブも一緒にやってるんです、ドラムとベースとボーカルの3人で。
◇“5th Element Will”というバンドでも活動していますね?
今でもやってます。歌が好きで、歌のバックをやってくれるミュージシャンって、私と同じ年くらいの人でもほとんどいないのよね。私が若い頃、クルセイダーズが来日した時に、一緒にやったりして「ああ、こんなに歌いやすいんだ」って感じたのと同じくらい、5th
Element Willはいいバンドになりましたね。お金を稼ぐのは下手な連中ですけど(笑)。最近は若い女の子を前座にして、下北沢でライブをやったりしてるんですけど、でも若い子のバンドってひどいのも多いです(笑)。
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【これまでのキャリアについて】
◇音楽を始めるきっかけは?
私は5歳の時に、歌手になろうと思って、その日に聴いた歌はその日に覚えるっていうことでやってきたんです。勿論GSもあったんですが、大学生の人がフーテナニー(フォーク・ジャンボリーみたいなやつ)をやったり、スチューデント・フェスティバルとかがあって。中学1年くらいの頃に、ピーター、ポール&マリーみたいなグループを武蔵工業大学の付属高校の人たちと組んで、学校では禁止されてたんですけど練習に行って、大学生のコンサートに出してもらったりしたんですね。それが人前で歌った最初ですかね。高校生になって、パーティー・バンドみたいなこともやってましたけど。
◇チャーと出会ったのは?
日比谷野音のコンサートですね。10円コンサートっていうのがあって、アマチュア・バンドの殿堂だったんですね。そこに、北里大学音楽サークルのボーカルとして出演していて、歌手がいなかったのでいろんなところで歌ってたんです。そこにチャーも3つくらいのバンドを掛け持ちで出ていて、なんだろう、この人とか思ってたんですね。その後、キャロルのデパート屋上でのライブで偶然また出会って、電話番号を交換したんです。しばらくして電話したら、丁度バンドを組もうとしていたから、一緒にやらないかと。それがスモーキー・メディスンです。
◇スモーキー・メディスンでアルバムを残せなかったのは?
バンドでエレック・レコードのスタジオ・ミュージシャンみたいなことをやってたんです。私は、お茶くみをしながらバック・コーラスをやってて、でも、ある時行ったら、もぬけのカラになっていたという・・・(笑)。録音の合間にデモ・テープを録らせてもらってて、そのテープをミュージック・マガジンに持っていって、中村とうようさんに聴いてもらったり。丁度、そこに内田裕也さんがいて、なかなかいいバンドじゃない、今度西武劇場に出るか、という話しになって。それがデビューですね。
最後は、殴り合いのケンカですね(笑)。五反田駅前での大喧嘩みたいな(笑)。音楽性でもいろんな方向が出てきたりとか、メンバーがネズミ講にはまったりとか、まだ子供でしたからね。でも、みんな全然違うところですけど、音楽は続けてましたから、この前のJCBホールのように34年ぶりでやることもできた。その時に戻るんですね、ある時点に。
◇次にバックス・バニーを結成するわけですが、すごいテクニックのバンドでしたね。
すごい歌いにくいバンドだった(笑)。サウンド的にはつらかったですね。気絶するふりして、ステージやめさせてもらえないかとか(笑)。あの頃は丁度、チャカ・カーンと友達になって、一緒に練習したりとかしてましたね。最近アルバムを聴きなおしたんですけど、まあま良かった(笑)。なんだか、わけわかんないうちにやったバンドなんで・・・。今でも、難波くんと一緒にやったりする時は、3枚目のアルバムからやったりしてますね。結構、見直しましたね、自分で作った曲もあったりして。全然アレンジが違ってるんですけど(笑)。何しろ、みんながわかんなかった時期だから。ソニーでは、矢沢永吉、バックス・バニー、浜田省吾がいた愛奴が“ニュー・ミュージック”っていうことで、ニュー・ミュージック・シリーズの第1弾がバックス・バニーだったんですから。
◇ライブ盤に入ってる「それはスポットライトではない」は、日本では浅川マキさんが歌っていましたね?
私も浅川さんの歌詞で歌ってるんですけど、浅川さんのライブにゲストで出たことがあって、浅川さんが呼んでくれた一人だけの女性なんですね、「スポットライト〜」をやってるってことで。それで当日行ったんですよ、21の時、“文芸座ル・ピリエ”地下まっくろみたいなところへ。そして、カラスみたいな真っ黒な衣裳の浅川さんがいらして、「あんた誰?」って(笑)。私はどうしようかなと思ちゃって、歌うべきか帰るべきか、そうとう落ち込んでたんですけど、ピアノの渋谷毅さんが「いいんですよ、歌ってらっしゃい」って。初めて声をかけてくれたんじゃないかな。それ以来、浅川さんは私をすごい可愛がってくれて。
◇金子さん自身は、これまで音楽性の変化とかはあるんでしょうか?
私はシンガー・ソングライターではないので、人の作った曲で、どんな曲でも自分なりに歌えるような歌手になりたいと思っていて、今もそれは現在進行形ですね。だいぶ、身についてきたかなとは思います。
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【子供のことや今後の活動のこと】
◇ずっと音楽活動を続けてきた中、子供たちもミュージシャンになられたわけですが、何か特別な子育て法とかはあったんですか?
特別もなにも、家にいえば音楽を聴いてしまうことになるわけで(笑)。この前、下の子がツアー先から電話してきて、「たいへんなことが起きた」と。お兄ちゃんが足でも折ったのかと思ったら、「スライ・ストーンが来る」と(笑)。いつも子供を車で連れていってたので、スライとヴェルヴェット・アンダーグラウンドとジミ・ヘンドリックスとウルトラ大百科とディズニー・オン・パレードの繰り返しでテープをかけてるわけですよ。お兄ちゃんはヴェルヴェットが好きみたいだけど、下のベースの子はもろにスライで、今年は会いにいこうと言ってたくらいで。
特別に音楽を教えようとしたことはなくて、お兄ちゃんの方は、3歳の頃ですけど、スティーヴィー・ワンダーの来日ビデオが家にあって、一人でドラム・ソロをやる箇所があって、それを毎日真似してましたね、3カ月くらい。ある日パタっと止めて、どうしたのって訊いたら、いろんな楽器が入ってくると、人と合わせるのは難しいって(笑)。それから、15歳になるまではドラムのドの字もなかったですけど。JESSE(チャーの息子)と一緒にバンドをやるようになって、お前、親父がドラムなんだから、ドラムやれよとか言われたんでしょうね。ドラムをやるとなった時に、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの教則ビデオがあって、これいいからって見せたんですよ。それから音楽が大好きになったみたいですね。弟の方は、ミュージシャンにしかなれないと思っていましたが、別にすすめてませんから(笑)。
◇金子さん自身、RIZEの音楽から影響を受けたりはするんですか?
どうだろう、RIZEの音楽からは直接影響は受けてないですけど、息子2人とはセッションをやったり、アルバムで共演(『B-ethics』収録の「アスベスト」)したりしてるので。大阪の“春一番”コンサートにも3人で出てるし。2人とも忙しいのに来てくれて、その辺は、シンガーとしてリスペクトしてくれているんでしょうね。面白かったですよ、新しい感じで。
◇今後どんな曲を作っていきたいですか?今後の活動予定についても教えてください。
どんな曲というと、基本的には戦争のない世の中にしたいだけですから。ラブ&ピースを忘れてはいけないんじゃないかな。
今後の活動についていうと、今月、来月でピアノの渋谷毅さんと一緒にデュオ・アルバムを作ろうかなと思っています。10月にはジャニス・ジョ
プリンの命日(37回忌)があるので、中野サンプラザでコンサートをやります。夏木マリさんと対バンです、夏木さんもジャニスを歌ってますか
ら。ジャニスになりきろうかなと思ってます(笑)。四人囃子の岡井くんと森園くん、スモーキー・メディスンの佐藤準くん、鳴瀬くんと一緒にやります。「Counter
Moon」というユニット名もつけました。8月には、JR東日本 のコンサートもありますし、みんな、どうやって行けばいいんだって、私に問合せがすごいんですけど(笑)。
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バックス・バニーのライブをご覧になったことがある方ならわかると思うが、あの壮絶な即興演奏の嵐のなかに、自分の声ひとつ(タンバリンもあり?)で立ち向かっていった金子マリ。その気高きスピリットは今も変わりはない。子供のことになると、やはり嬉しそうに話すのが印象的だったが、社会への視線も忘れない。数々の伝説を作ってきた名ボーカリストであるとともに、現在進行形の新たな“歌”を紡いでいく姿勢がひしひしと伝わってきた。金子マリ
presents 5th Element Willのライブにも是非!
(取材&Text/遠藤哲夫)
